diary

2018/10/27/28/29

41になった。もう誕生日だからどうのというような感慨が起こる年じゃないが、41というのはいい数字だと思う。42になるまでにもう少しクリアな景色を見れるようになっていたいと思う。 午前中で用事を片付けて阿部明子の展示を見るべく仙台へ。仙台を訪れるのは二度目。十数年ぶりだろうか。もうよくわからない。 今でもそれがわかるのかというとあまり自信がないが、求めているものの具体的なありかが杳として知れない頃は、自分の知らない景色を求めてひたすら移動するというのが作品を生み出す上で至上の手段だった。理由もなく苛立ちながら。苛立ちの理由はどうあれ、その頃に知った夜行バスを乗りまわし「これって革命?」などと感じたものだった。宿代抜きで全国各地に撮りに行けると。結果ぎっくり腰で死に体を晒し写真なんて碌に取れなかったが。 仙台ではダムを二箇所ほど訪れた。特に紅葉を愛でる習慣はないが秋の澄んだ光に晒された色とりどりの木々に埋まる山肌を目前にすると「対象と私」という認識の感覚が霧散し、存在と意識が同化する、そんなこの季節ならではの愉悦にしばし浸る。美しければなんでもいい。写真もいくらか撮った。何を撮るか、よりも、いかに撮らないか、に意識が向いてきていることに気がつき嬉しくなる。 結婚指輪など見繕ってほくほくした気持ちでSARPについたらトークの時間を勘違いして終了間際。大日方さんに挨拶。宿に帰って妻と喧嘩。翌朝仲直りして陸前。津波のあとを経巡る。セシウムを食っているであろう牡蠣をたらふく食って大高森に登る。入り組んだ線が遠くに美しい。夕方レンタカーを凹ませ鳴子の部室みたいな宿に投宿。お湯は最高だった。 牛タン食ってはやぶさでまどろめばすぐ東京。仙台は意外と近かった。いつかSARPで展示したい。

FUJICA GM670

写真を生むにあたりただ実直に撮れれば何を使おうが関係ないとは思うが、自身の制作機材にこだわらないかというとそうでもなく、いくつかポイントがある。ただ見たままを撮りたいので右目左目に関わらずファインダーを覗く際肉眼と同じ画角である、つまり逆の目を開けても違和感のないのがいい。そしてファインダーの周りに余計な情報がないこと。そうでないと煩わしさが先に立ちいらいらしてしまう。露出等、絵作りにまつわる助言は無用だからだ。 だがそんなことを言っているうちに使える機材がみるみる減り、私のフォーマットではPENTAX67Ⅱに露出計抜きのプリズムを載せ標準近辺のレンズを付ける、若しくはFUJICA GM670の100mmを常用するしかなくなった。いくらこだわりが強くとも、社会的方向性の曖昧な欲望が外的要因で制限されるのは当然とはいえ悲しい。覚醒しているときはPentax100mm,Macroを、現実に柔らかく擦り寄るような気分の時はDallmeyerを、そんな自分に疲れたらFUJICAを担いでいい加減にシャッターを落とす。なんにしても自分のやり方で写真が撮れればなんでもいい。ほとんどのことに興味がない。

2018/5/9

久々の休暇が終わってしまった。雲の流れ、色とのまつわり、人の美しさに見とれながら私はどこかで苛々している。美しい場所が自分の感情とどのようにつながっているのかわからないままにいくらかシャッターを切った。確信を持ちつつ踏み惑うことで生を感じている。それを証し立てるものの無名性を信じながら。

夜は正し

夜は正し

また真夜中に目が覚めた。腰がいけない。体の芯が重く疲れている。けれど眠れないから、モニタが壊れたソニーのデジカメを首に下げてサンクスへ酒を買いにゆく。ここは横浜。横浜ではない何か。むしろ相模。横浜というイメージからは乖離した地域だけれど、人はびっちり生きている。わりと即物的に。 フィルムで制作する時はどんなに抽象的な画であってもこれが新しい現実になるという確信があるが、デジカメで臨む現実は自分のだらしなさやとりとめのない現実、つまりは存在への甘えが現れる。 そのせいか物事がなるべく写らないように露出を控えてシャッターを落とす。時々はっきりしたものを写すけれど、ほんとうは輝度の低い夜はあまり写したくない。けれど習性のように指を動かしてしまう。この体が今、現実に際してどれほど反応できるのかを試しているのかもしれない。単に夜の美しさに惹かれているのかもしれない。 撮るたびに仕上がりを確認する作業に違和感をおぼえていたから、しばらく修理に出さず撮影するつもり。 この頃は夜の近所を頻繁に撮っている。卑近な光が遠く振れるとおぼえたい。

時間の色

その時。差し迫った個展の材料を用立てようと、原付で最寄りの駅へ向かっていた。何度も行き来した道のりをゆく頭は平板でとりとめがない。図書館前のゆるい坂道をぼんやり上っていると、前の自動車が妙なタイミングで停車した。危ないな、と訝う目先の電柱が大げさに揺れる。足元の地面が波打つ感覚をはじめて味わう。それでも、すこしいつもより大きかったなと思うだけでふたたび進みはじめる。感覚が鈍って大きな危険を察することができない。もしくは感じ取らないようになっている。揺れはなお続いて、右から左から不安げな顔で道路に飛び出てくる人たち。それを縫って駅へとたどり着くが停電しており暗く、電車の運行掲示板も死んでいる。間歇的に揺れる陸橋を横目に電車が動き出すのをしばらく待ったが、運転再開のめどが立たないというアナウンスを聞いて踵をかえした。周辺の店舗からも照明が消えてひっそりとしていた。 家に戻ってテレビを見ると、津波が平地を進んでいた。上空のヘリコプターからの画像。時折火が出る。水に襲われているのになんで火が出るのだろう。あ、人が。飛沫の先に車列があるけれど。一緒に見ていた家人が涙を流し「ああ」と叫ぶ。でもまだ追いつかない。そんなに感情的になるなよという眉根のゆがみが先に出た。どれくらいの人が亡くなるのだろうという呟きに「数万ということはないでしょう。数千でしょう。」と私は言った。これから失われる命、すでに失われた命のひとつひとつについて想像することができない軽率さ、愚かさ。 しばらく伝えられるかぎりにおいて家人が原発の行方を追っていた。2、3日は様子を見ていたが深夜に状況が悪化、早朝のニュースに映る東電担当者の顔色が黒ずんでおりこれはまずい、と慌てて西行きの新幹線へ。物事は”良い方向”へ向かうのだろうというおぼこさは潰え、その瞬間から時間の色が変わってしまった。 目の前にある具体的な事物に普遍性を見出すために制作を続けてきた。電線の束、木々の影、ガラスのヒビ、水面の文様、モルタルの肌理、隣人の指先、顔、月、皺、雲、そんなあたりまえの存在をいちいち美しいと思う。だが、あたりまえの存在を愛すにはまず、平和でなくてはならない。 私はずっと守られた場所にいて、安心の中で育ち、生きてきた。なぜそれが可能であったかということに向き合わないできた。平和を享受するには資格が必要だなんて考えたことがなかった。写真の純粋性を追い求めるという、ある意味遊びに近い活動に手持ちの時間や労力のほとんどを注ぎ込めるという幸福。その土台となっていた平時。その前にあった戦時。きな臭さが増す昨今、戦争のあったころまで自分の想像の範囲をのばさなくてはいけないと切実に思うようになった。 祖父は戦中飛行機乗りで、死ぬ間際に見舞ったとき、当時の訓練で橋の下を飛行機でくぐったという話を突然してくれた。捕虜を処刑する時は、誰が殺したかわからないように皆で一斉に撃った。敗戦の直前、大陸から逃げる上官を飛行機で運んだ。足がつかないようにか行き先は告げられず、ただまっすぐ飛べと命ぜられ、覚醒剤を打たれながら何度も往復した。利用価値のある兵士だったから生き延びられたのだろう。一緒だった母も、戦争の話なんてまったく聞いたことがなかったのにと驚いていた。それがつい数十年前のこと。たった二世代しか経っていない。 国のかたちを変え、ふたたび戦時を招きよせようとする者がいることに強い怒りを覚える。 時間は単線的に進むものではない。これまで積み重ねられてきた時間と、今を生きる人の生み出す時間が織り成す実体なのだ。それをひとつの色に染めることは決してできない。

2016/1/31

幾つかの場所を巡って、15枚ほど写真を撮る。対象の幅が無限遠から数センチまで広がったのに対応すべくここしばらくマクロレンズを常用してきたが、最近気に入ったフィルムの感度がISO12と随分低いので、晴天の日向でレンズを開放にしてシャッターを切ることになり、ファインダーを覗いた時の心地良さを優先してDallmeyer 4 1/4″を持ち出した。 見えは美しいものの標準の視覚より少し拡大される画角は、画面をほんの少しだけ批評的に感じさせて苛立たしい。時に絞り込んだり、接写する必要を感じることもあろうかと三脚やヘリコイドエクステンションを携行しているが、単純な視覚とそれをものにする切実さを測るのに精一杯で、被写体が持つ情報を再現することには気持ちが向かない。 とある日曜日、何も撮るべきものがない空間に首を巡らせ続けていると「私は写真を撮っている」という前のめりな心持ちが徐々にほぐれ、現実に居ることに沿うようになる。そんな気だるさに沿いながら凪いだり滾ったりした。

雪が降ると視線が惑う。名指すものが少なくなるからだ。結露した窓が白く光り、人の身振りが気にかかる。焦点距離を定めない遊びを素面でできるから、カメラを取り出す手が億劫になる。これならこれでいいかとも思う。ものを生み出すとはなんだろうか。静かなことだろうか、怒りのようなものなのか、否定することでもあるかもしれないけれど、ただ肯定することでもないのだろう。ただあること、もしくはそうでないこと。明日には消える雪がきっと路面を滑りやすくしている。バイクで転ばないように気をつけなくては。  

2015/7/15

土浦に着いたのが昼過ぎ。遠くから届く雷鳴を聞きながらフレームの補修をして撮影に出る。 吹き出る汗が気にならなくなったあたりで降り始める通り雨を陸橋の下に遣り過ごし、走って逃げる高校生を遠目に眺める。橋脚から跳ねる飛沫を浴びながら流れる水をためつすがめつし、日差しが戻ってからは数珠繋ぎになった水たまりに映る雲や太陽の角度を探る。蔵に戻って山本さんに撮影日和でしたね、と言われて確かにそうだなと思う。PENTAX67Ⅱ.100mm f4.Tri-x 8. 夜は伊藤さんや山本さん、寺田さんと杯を重ね、気がつけば駅前のベンチで寝ていた。久しぶりの野宿。

2015/7/8

モニタを眺めすぎて頭の芯が濁ってきた。休みが必要だ。 原美術館サイ トゥオンブリー、二度目。 軽さと強度が同時に達成された作品を好いていると分かった。腕の振るいかたや重いタッチは受け付けなかった。 立体を含めた、まとまった展示を見たい。そのためにヨーローッパへ行くのもいいだろう。 青山ブックセンターならまっとうな作品集があるだろうと歩いたがなし。カズオ・イシグロの新刊を見つける。 下高井戸シネマにてアレクセイ・ゲルマン「神々のたそがれ」 自分はこれまでどこか、最上のものは抽象と具象のあわいにおいてしか表現されないと考えてきたが、 そんな浅はかさを真正面からひっくり返された。あ、そうそう、現実ってこんな。いちいちこんなふう。 他の作品も含め、何度も観ないといけない。

2015/6/16

実家暗室。関東に暗室を確保できず生家の一室を作業場にしている。 今回の作業は近作のワークプリントを作るのが目的なので展示前に駆け込むような慌ただしさもなく一枚一枚の上がりをゆっくり確かめる余裕があって、それほど厳密にトーンを追求せずネガを選ぶことができるから、伸ばし機に挟んだネガを光源に晒して惑ったり、現像液を揺らす手先でここしばらく確かに思われていたカットの価値をあやふやにしたりする愉しみを味わえた。おなじような道を逆に辿るようなことだが、モニタの段階ではばたついていたイメージが紙へ乗ってやっと腹に落ち、その一点からのびのびと生きはじめることは少なからずありその度に、制作には遊びが必要だなとあらためて思った。 不覚なのは暗室に入る頻度が落ち目が弱くなっていること。画像を消費する身振りに任せてモニタでトーンを操作した印象が強く、現像液から浮かび上がる像の静かな移ろいを頼りなく感じてしまう。目の弱さを背負うべく作品の性格に応じて手段を使い分けることも考えはじめた。 鑑賞する立場から言えば、銀塩と出力の差は目を凝らすかどうかの違いで、距離を置いて画像の意味を理解するのであれば出力に分があるが、さらに一歩踏み込んでも説得力があるのは銀塩。その説得力を必要とするかしないかの差。簡単な差。 紙はFotokemika.Emaks の2、3、4号を適否を問わず使う。普段はイルフォードの多階調とZONE Ⅵのヘッドだが今回は手持ちの号数紙で済ませた。生産が止まった製品に対する醒め。リスプリントが持続可能であればまた違ったのだが。 現像液はすべてeco-pro.  銀塩モノクロプリントをする友人にはいつもこのメーカーのNewtral Fixerを勧めている。他はともかく定着液だけは硬膜剤を使用しないこれがいい。体への負担が少なく水洗効率も高い。 フェリシアン化カリウムでさっと白を飛ばし、仕上げの水洗促進液にKodakのセレニウムトナーを少々含ませて黒を引き締めるが、もともと銀塩のトーンを盲信するタイプではないのでほとんどおまじないのようなもの。 あいまに頼んだ薬品の配達が遅れ久しぶりに集中して小説を読むことができた。自主ギャラリー関連で動物的になっていた頭を糺すことができ、時間を愛すること、自分に素直になることの大切さを思い出す。無理なら無理。やりたいようにやる。 ずっと興味があるのは、写真が切り取る現実と写真自体が生み出す現実が混ぜ合わさる場所を構築する作業。対象の再現から生まれる写真が、フィクションの領域に片足を突っ込みつつ、自身の佇まいを持つようになる過程。一見ぐらぐらしていて頼りないが、美しさってそういうものだ。今回ものになるのは5カットほど。豊作。