Monthly Archives: March 2019

12月1日 森下大輔x大日方欣一 トーク @galleryMain

司会(中澤)/ では、定刻となりましたので、トークイベント進めさせて頂きます。よろしくお願いします。 大日方/ どうも大日方と申します。 森下/ よろしくお願いします。森下です。 そうですね、あんまりトークイベント向きの写真家ではないので、大日方さんを困らせることも多いかなと思うんですけど。 そもそも写真を言葉にするっていうことを拒絶するようなところから写真制作をスタートしているような部分があるので、写真について「語りえないこと」を語っていくようなことをできたらなと。 大日方/ はい。 このイベントの告知で、ちょっと何者かを皆さん解らないと思うんですけど、私が。 写真評論家っていうふうに書いていただいているんですけども、これ、自分でそう名乗ったことは全然なくてですね。写真評論家とちょっと言えないだろうというふうに自分では思っているんで、っていうか写真評論書いてないし、って思って。 だけど、まれにこういうイベントいろんな写真家の方に呼んでいただいて1年に2、3回やることがあるんですね。そういうときに、やっぱり肩書きが必要でしょうということになって、写真評論家って書くとわかりやすいっていうようなリクエストはあるもんですから、それがよければそうしてくださいみたいな感じで、写真評論家って書いていただくぐらいで。 写真評論家ってことになるといろんなものに対応して言葉を言い渡さなければいけないことになってしまうだろうと思うんですけども、とてもそんなことはできなくて。私個人としては、自分が引きつけられる写真っていうのはいろいろあるわけなんですけれども、そういうものについてなるべく密着して調べて、それを本にしたり展覧会にしたりっていうことを自分なりにずっとやっているもんですから。 いろんな自分で扱う写真っていうか、関わっていくことになった写真というのは偶然の出会いとかで引き込まれていくってことがあるんですけれども、それはある一つの原則とか、美学とか方針とかにのっとって写真を研究するとかということではないです。 しかしながらですね、今までそれなりの歳月をかけて様々な写真に出会っていく中で、写真と一口に言いましてもいろいろあって、いろんな角度から引きつけられるわけですけれども。 それらを繋ぐ共通の普遍的な基盤というか、基礎みたいなこと、そういうことは多分あるんだろうなっていうふうには感じていて。それを、なかなかそんなことを言葉にするってことも難しいわけなんですけれども、そういうことも考えているつもりです。 だから、森下さんの写真を見ながらもいろんな他の写真を思い浮かべるし、自分は今まで触れてきた、ひきつけられてきた、いろんな写真とやっぱり関連づけながら、見ていくところがあると思っています。 今日にあたってはですね、目の前の新しい作品については今この場で見ているのであんまりすぐ反応できないんですね。 僕の場合、写真見るのにすごい時間かかって、今ぱっと見てどうこう言うっていうんじゃなくて、すごい歳月の中でだんだん何か焦点が定まってくるっていうのがいつものことなんですけれども。

20190308-24

I can’t communicate in foreign countries. I don’t want to go abroad unless I have something to do. But I

2月17日 森下大輔x目黒大路 トーク

司会 森下さんから簡単な自己紹介をお願いします。 森 写真家の森下大輔です。ずっとフィルムで制作を続けています。20年くらい、モノクロの風景を撮り続けています。特に解りやすいテーマを持って制作しているという訳ではなくて、ずばり言ってしまうと純粋な写真を作りたいというのが私のテーマです。 所謂、みなさんが思われる写真家というのは綺麗な花を撮ったり、富士山の風景を撮ったり、報道写真を撮ったりして何かしらを伝えるっていうのが写真家と思われると思うのですけど、僕が目指しているのはそういうのとちょっと違っていて、純粋な写真を撮った時に物事の核心が掴めるのではないかという事を目指して、ずっと制作を続けています。 目 目黒です。私は舞踏という、踊りを20年ちょっとやっています。舞踏というのは1959年に日本で始まったとされている踊りで、既存のダンスを否定して成り立ったものです。どちらかというと、伸びやかというよりは、逆に縮こまって行ったり、上を目指すのではなくて下を目指すとか、生ではなくて死とか、非常にひねくれた考えで成り立ってきた踊りです。それを継いでやっているという感じです。見栄えは色々と変わってきて、白塗りなどいろいろしているのですが、それらは形骸化している部分もあるので、そういうのはなくとも良いかと思って、何も塗らずにやっております。 司 目黒さんは、なぜ舞踏という表現になっていったのでしょうか? 目 舞踏と思って舞踏に接した訳ではなく、最初は白塗りのインパクト、全身白く塗りパンツ一丁でほぼ裸、頭を剃ったりした、そんな写真をみて、なんだ、これ気持ち悪いなと思って、そこから惹かれてきた。 子供の頃から、気持ち悪いものに惹かれてきて。写楽の絵とかも気持ち悪いじゃないですか。役者絵とか。なんでこんな気持ち悪い絵を書くのだろうなと思って、惹かれるんですよね。もっていかれるんですよ。所謂、いいとかではなく、気持ち悪いもの、そういうアンチテーゼ的なものにどうしても惹かれるものがある。 それで東京にアスベスト館というところがありまして、そこは舞踏の創始者の土方巽という人がやっていたところで、もうその人は亡くなっていて、今はその人の奥さんがやられていて、そこにワークショップがあり、それが面白かった。そこは踊りやスタッフワーク、照明や音響とか、現代美術や写真、細江英公さんもそこでやられていた。SMのワークショップもあり、縛り師の方がいたりいろいろ面白かったんですよ。それに参加して、体を動かすのも好きだったので、面白い世界だなと思ったので、それから舞踏をやり始めた。 司 それはおいくつくらいでしたか? 二十歳くらいですね。東京に出てからですね。普通のダンスと違って、舞踏を小さい頃から始めていたというのまずいないので、大体みんな二十歳前後くらいから始めるので。 司 小さい頃からできるところがあっても面白いですね? そうなんですよ、まず白塗りさせるんですよ。 会場 笑 司 今の若い方は、動画とかで踊ったり見たりとかしていると思うのですが、全くそういう素地がないまま東京とかに行って? 目 踊りって恥ずかしいじゃないですか。だから舞踏も踊りと思ってやっていないんですよ。なんか変なものと思ってやってて、やり始めたら踊りだって言われたので、まぁ踊りだったんです。 司 今のスタイルになったのは始めてからどのくらいですか? 目 だんだん自分の考えなり、継いでいるものだったり、そういうものをアレンジというか、現代というのも含めて。始めたのはやっぱり戦争、戦後を経験している人たちで、そういう体なので、私はそういう体ではないので、じゃぁ私ができる、現代における舞踏というのはなにかというのを模索している最中、というのがクリアになってきてからですね、こういう風にだんだんなってきたのは。 それまでは真似事ですね。今も真似ている部分は多くありますけど。 司 その真似ている部分は土方巽さん? 目 それもありますし、いろいろですね。いろんな人の。それは舞踏の場合は、非常に思考も使うので、体のあり方を言語化して考えるんですよ。それと体を一致させるというのですか、思想をこうですよという必要はなく、体で見せればいいんですけど、自分なりに整理したり、誰かと一緒に作品を作る時は言語化して伝えるっていう事が重要なので、そのためにも言語化と体の一致をやろうとしています。