Monthly Archives: May 2018

FUJICA GM670

写真を生むにあたりただ実直に撮れれば何を使おうが関係ないとは思うが、自身の制作機材にこだわらないかというとそうでもなく、いくつかポイントがある。ただ見たままを撮りたいので右目左目に関わらずファインダーを覗く際肉眼と同じ画角である、つまり逆の目を開けても違和感のないのがいい。そしてファインダーの周りに余計な情報がないこと。そうでないと煩わしさが先に立ちいらいらしてしまう。露出等、絵作りにまつわる助言は無用だからだ。 だがそんなことを言っているうちに使える機材がみるみる減り、私のフォーマットではPENTAX67Ⅱに露出計抜きのプリズムを載せ標準近辺のレンズを付ける、若しくはFUJICA GM670の100mmを常用するしかなくなった。いくらこだわりが強くとも、社会的方向性の曖昧な欲望が外的要因で制限されるのは当然とはいえ悲しい。覚醒しているときはPentax100mm,Macroを、現実に柔らかく擦り寄るような気分の時はDallmeyerを、そんな自分に疲れたらFUJICAを担いでいい加減にシャッターを落とす。なんにしても自分のやり方で写真が撮れればなんでもいい。ほとんどのことに興味がない。

2018/5/9

久々の休暇が終わってしまった。雲の流れ、色とのまつわり、人の美しさに見とれながら私はどこかで苛々している。美しい場所が自分の感情とどのようにつながっているのかわからないままにいくらかシャッターを切った。確信を持ちつつ踏み惑うことで生を感じている。それを証し立てるものの無名性を信じながら。

「偶然性の問題」

偶然が人間の実在性にとって核心的全人格的意味を有つとき、偶然は運命と呼ばれるのである。・・・・無をうちに蔵して滅亡の運命を有する偶然性に永遠の意味を付与するには、未来によって瞬間を生かしむるよりほかない。未来的なる可能性によって現在的なる偶然性の意味を奔騰させるよりほかない。 九鬼周造「偶然性の問題」