book

asterisk 書評 大日方欣一

河原にしゃがみ込む少年がカメラアイに鋭く反応を返すショットを巻頭に置くこの燃焼度の高い作品集には、ところどころ、少年の瞳や頬、柔らかい腕、指先、匂いたつ体温や息する感触がよぎる。主題や被写体とするというよりも、相棒とする、分身となる—少年の日に寄り添い、ともに目の前の事象へ感受性を開いていこうとする。根本にはそういう態度の選択があって、このような重層的で伸びやかな光景群が生まれでてきたのではないか。きっぱりと作者は宣言する、「どこまでも具体的な事物に満ちた世界において、何かが存在するということ、そしてそれを成り立たせているものに触れる力を、写真は持っている」。「そこは、私たちの心が泳ぐことのできる自由な空間である」。古代ギリシャの原語で「小さい星」を意味したという表題の記号が、この本を眺め耽る私にはだんだん、ふわりと宙を舞い新しい季節の到来を知らせるしろばんば(雪虫と)オーヴァーラップしてくるのであった。 日本写真年鑑2018 発行 日本写真協会

Artist talk
Osamu Kanemura & Daisuke Morishita
@Galerie Omotesando

金村修(以下K) よろしくお願いします。 森下大輔(以下M) よろしくお願いします。 K   写真家の金村です。 M   森下です。 K   おめでとうございます。 M   ありがとうございます。 何から話しましょうかね。 K   そうねえ。君の生い立ち、聞いてもしょうがないから。「君」なんて言っちゃいけないね。「先生」の生い立ちなんかね、聞いてもしょうがありませんから。 森下さんはね、僕の生徒だったんです。東京総合(写真専門学校)の時の。二年生の時の。 僕、彼が一年生だった時の写真、見たことあんだけど、もっとフォルムと言うんですか、縦の線がすごく強烈な強い写真で、割と印象は覚えているというか、その後二年生になって、その時もまだね、うーん、何かの影響がすごく強くて、束縛されてるなという感じはあったんだけど、ただフォルムと言うのかな、その物の強さというのは印象的だったんだけど、ある日、神戸の写真を撮って、それがすごく雰囲気がある写真だったんですよね。で、東京総合写真専門学校と言うのはリー・フリードランダーとかそういった写真の影響下だから、もっとフォルマティックなんですよ。だから画面からエモーショナルなものはもういらないみたいな学校だったんだけど、そんな中で割と珍しく構図と言うかね、そういう形の作り方ははっきりしてんだけど、だけどちょっとどっか違うものが入り込んできていると言うのかな。だからそれがすごく新鮮でね。だから割と学生さんに人気があったんじゃないですかね。彼はその後卒業して研究科に行ったんだけれど、その後一年生の生徒が上がってきたとき、みんな森下さんの真似と言うのかな、みんなと言うのは言い過ぎだけど、半分ぐらい真似していましたね。何が好きかって言うとね、先生と森下君のですと言うからね。偉くなったなあと思って。早一年でねえ。ただ、まあ、あそこは、ガチガチのフォルマリストの学校だから、どっかそういうエモーショナルな部分を求めるような人も多かったんでしょうね。で、そのあと研究科行って、すぐコニカで賞取って。

asterisk

asterisk

このたび私にとって初めての写真集「asterisk」を制作しました。その出版記念に展覧会を開催します。会場では写真集を先行販売します。初日はオープニング・レセプションがあり、20日(金)には金村修氏をゲストに迎えてアーティストトークも行われます。会期中は終日在廊しています。みなさんどうぞお運びください。 会場 表参道画廊 会期 2017年10月16日(月)~21日(土) 12時~19時(最終日は17時閉廊) *オープニング・レセプション 10/16(月) 17:30~19:30 *アーティストトーク 金村修+森下大輔 10/20(金) 17:00~18:00 **入場無料 予約不要 *この展覧会は湊雅博氏ディレクションの連続個展「事象展」のひとつです。 書名「asterisk」 著者 森下大輔 発行 asterisk books 2017年10月31日発行 144ページ A4変形 226×283mm 作品掲載点数 モノクロ82点 発行 500部

映像 第一号

島尾伸三氏創刊、近藤耕人氏編集の評論誌「映像」の第一号に寄稿しました。 これまで大阪のポートギャラリーTより発行されていた「映像試論」を、トキ・アートスペースのトキさんがバトンタッチしてくださったそうです。見かけたら手にとってみてください。

飯沢耕太郎/現代日本写真アーカイブ

飯沢耕太郎/現代日本写真アーカイブ

飯沢耕太郎氏の新著「現代日本写真アーカイブ」に2011年の展示「名前のかたち」の展評が採録されています。 当時の作品が持っていたゴツゴツした手触りが、だんだんしなやかで輻輳的なものに変わってきているように思うこの頃。 森下大輔は1977年生まれ。2003年に東京綜合写真専門学校を卒業し、2005年からニコンサロン、コニカミノルタプラザなどでコンスタントに作品を発表してきた。だが初期の頃の、画面にパターン化された明快なフォルムの被写体を配置していく作品と比べると、今回の「名前のかたち」シリーズの印象は相当に変わってきている。 以前はブロイラー・スペースという名前で活動していたGallery RAVENの1階のスペースに11点、2階に12点展示された写真群は、白茶けたセピアがかった色調でプリントされており、その多くはピンぼけだったり、あまりにも断片的だったりして、何が写っているのか、何を写したいのかも判然としない。「名前のかたち」というタイトルにもかかわらず、それらは「名づけられたもの」を「名づけられないもの」あるいは「名づけようがないもの」へと転換し、再配置しようとする試みにも思える。 いくつかの写真には、彼自身のものらしい手の一部が写り込んでいる。だが、それがどこを、どのように指し示しているのかも曖昧模糊としている。それでも、逆に以前のきちんと整えられた画面構成にはなかった、写真によって世界を再構築しようという、止むに止まれぬ衝動が、より生々しく感じられるようになってきているのもたしかだ。今のところ、まだ中間報告的な段階に思えるが、この方向をさらに遠くまで推し進めていってもらいたいものだ。 2012/11/04 飯沢耕太郎 http://amzn.to/1JIOjTO

朝永振一郎「滞独日記」より

物を分析しないでぼんやりしたまま考えて、考えをすすめていくことがしてみたい。これはけしからぬ怠け心かしらぬが。物理学の自然というのは自然をたわめた不自然な作りものだ。一度この作りものを通って、それからまた自然にもどるのが学問の本質そのものだろう。しかし、これでとらえられない面がものごとにはあるにちがいない。 活動しゃしんで運動を見る方法がつまり学問の方法だろう。無限の連続を有限のコマにかたづけてしまう。しかし、絵描きはもっと他の方法で運動をあらわしている。 吾々は物ごとを有限の概念にかたづけてでなければ物が考えられないくせがついてしまった。しかしこれは何といっても無理にかたづけたものであるから、本のものそのものではない。

清水あすか 雨見する。

清水あすか 雨見する。

「雨見する。」 道路に落ちた雨、雨一滴の中に生きている時間が見える風景だ。 干して小さく切った餅よ揚げて、おかき作ってくれ。それを持って、星から沖の波一番遠い指先まで行く。 一滴背中をまるくして、滴のまるさに近づいて年をとってくれ。時時には 飯を噛ませるさじよ振って、ことばと ことばが育つ厚ぼたいだんまりを交ぜてまた、 この小さい口に放り込んでくれ。 子ども。風景は途方もない、おびただしい記憶の方法そのものだ。 どんな織られ方をして滴の形は、濡れる花はこの花なのか、ひたすら見とれている わたしたちの死ぬる、忘れてしまうをも軽く上等な糸にして、今一滴は織られていないか。 わたしは子ども、おまえに放り込む飯、行こう星、さわる波の指触りも不思議。雨よ 雨、見とれるばっかり、おまえは行く背中、 滴、わたしが映る、さじなく。さじなく。 —————————————— 清水あすか「空の広場 14号」より

コーマック・マッカーシー「ザ・ロード」より

かつて渓流には川鱒が棲んでいた。琥珀色の流れの中で緑の白いひれを柔かく波打たせている姿を見ることができた。手でつかむと苔の匂いがした。艶やかで筋肉質でぴちぴち身をひねった。背中には複雑な模様があったがそれは生成しつつある世界の地図だった。地図であり迷路だった。二度ともとには戻せないものの。ふたたび同じようには作れないものの。川鱒が棲んでいた深い谷間ではすべてのものが人間より古い存在でありそれは神秘の歌を静かに口ずさんでいたのだった。