12月1日 森下大輔x大日方欣一 トーク @galleryMain

司会(中澤)/

では、定刻となりましたので、トークイベント進めさせて頂きます。よろしくお願いします。

大日方/

どうも大日方と申します。

森下/

よろしくお願いします。森下です。

そうですね、あんまりトークイベント向きの写真家ではないので、大日方さんを困らせることも多いかなと思うんですけど。

そもそも写真を言葉にするっていうことを拒絶するようなところから写真制作をスタートしているような部分があるので、写真について「語りえないこと」を語っていくようなことをできたらなと。

大日方/

はい。

このイベントの告知で、ちょっと何者かを皆さん解らないと思うんですけど、私が。

写真評論家っていうふうに書いていただいているんですけども、これ、自分でそう名乗ったことは全然なくてですね。写真評論家とちょっと言えないだろうというふうに自分では思っているんで、っていうか写真評論書いてないし、って思って。

だけど、まれにこういうイベントいろんな写真家の方に呼んでいただいて1年に2、3回やることがあるんですね。そういうときに、やっぱり肩書きが必要でしょうということになって、写真評論家って書くとわかりやすいっていうようなリクエストはあるもんですから、それがよければそうしてくださいみたいな感じで、写真評論家って書いていただくぐらいで。

写真評論家ってことになるといろんなものに対応して言葉を言い渡さなければいけないことになってしまうだろうと思うんですけども、とてもそんなことはできなくて。私個人としては、自分が引きつけられる写真っていうのはいろいろあるわけなんですけれども、そういうものについてなるべく密着して調べて、それを本にしたり展覧会にしたりっていうことを自分なりにずっとやっているもんですから。

いろんな自分で扱う写真っていうか、関わっていくことになった写真というのは偶然の出会いとかで引き込まれていくってことがあるんですけれども、それはある一つの原則とか、美学とか方針とかにのっとって写真を研究するとかということではないです。

しかしながらですね、今までそれなりの歳月をかけて様々な写真に出会っていく中で、写真と一口に言いましてもいろいろあって、いろんな角度から引きつけられるわけですけれども。

それらを繋ぐ共通の普遍的な基盤というか、基礎みたいなこと、そういうことは多分あるんだろうなっていうふうには感じていて。それを、なかなかそんなことを言葉にするってことも難しいわけなんですけれども、そういうことも考えているつもりです。

だから、森下さんの写真を見ながらもいろんな他の写真を思い浮かべるし、自分は今まで触れてきた、ひきつけられてきた、いろんな写真とやっぱり関連づけながら、見ていくところがあると思っています。

今日にあたってはですね、目の前の新しい作品については今この場で見ているのであんまりすぐ反応できないんですね。

僕の場合、写真見るのにすごい時間かかって、今ぱっと見てどうこう言うっていうんじゃなくて、すごい歳月の中でだんだん何か焦点が定まってくるっていうのがいつものことなんですけれども。

それで今回お声がけいただいて、今日までやってきたことっていうの、この前作(写真集「asterisk」)ですね。これを何週間か持って歩いて、いろんな光のもととかいろんな物事の中とかで、開いては見るっていうことをやってきたわけなんです。

だからその目でこの展示会場に来たら、「相当違う」っていう(笑)。この本を森下さんの世界だと思って、自分の中で、ある種定着してきたんです。そしたら、同じような写真もちろんあるとは思うんですけれども、全体から受ける印象がものすごく違いがあるなっていうのが今感じていることなんですけど。今の作品に至る前にこれについて話していただいてもいいですか。「asterisk」について。

森下/

そうですね。

これを作るまでは僕は写真集を作るっていうことに全然興味がなくてですね。

やっぱり展覧会で発表するっていう作業に自分はとても重きを置いていて、あんまり本にして人に見せるっていうことに魅力を感じていなかったんです。本を作ろうと思い立ったのは、なんていうんでしょうね。展覧会に飽きたっていうか。毎回展覧会自体はすごく好きで、高揚する部分もあるんですけど、段々ちょっと自分でもわかってきちゃったというか。自動的に展覧会が生まれていくような感じで。日常的に撮影を繰り返して、テーマを持って撮影するタイプじゃないので。

大日方/

それ、最初からそうですか?

森下/

そうです。一貫してそうです。

それがこう積み重なって地層を成していって、ある位置に達すると亀裂が走って、展覧会に変化していく様なイメージなんですよね。そのときに自分が一番興味のある質感みたいなものを個展に落とし込んでいくんですけど。

それはやっぱり10年以上やっていると、自動化されて、ていうか、撮ってそれをこうこねくり回して、確信が持てた時に展覧会に落とし込むんですけど

それで何か当り前のようになってきて、自分の中でも自動的な作業がどんどん進んでいくなっていうのが、自分の中にもあって・・・

ちょっと目先を変えてみようかって感じで、で、この本を作ろうと思い立ったんですね。

大日方/

写真集作るって、レーベルまで作ろうとするのは?

森下/

レーベルはそうですね、

大日方/

それを最初作ろうと思ったときに、すぐレーベル作ろうってなったんですか?

森下/

自分だけと考えていれば、別にレーベルを作る必要はないんですけど。

そうですね何年ぐらい前かな。割と初期からなんですけど。

自分がやっているようなこういう地味な写真。

誰にも見向きをされないような、ある意味純粋な写真を作っていく作業ってのを自分はやっていると思っているんですけど。そういう作家がやっぱりちらほらいるわけですよ。自分の周りにもそういう人たちが。何ていうのかな、割と職人気質っていうかみんな。

大日方/

うん。

森下/

いい写真をいっぱい撮っているんですけど、見向きもされなくて。

見向きもされなくても全然関係なくてずっと1人で作業しているっていうタイプの写真家がいっぱいいて。それが悔しいというか。それから、何とかなんかないのかなっていう思いがもう、ずっとあって。それらを束ねてちゃんと歴史に残していかないと、これ、なかったことになるなっていう危機感を抱いていたんです。だから何とかまとめていきたい。まとめて何とか残していきたいっていう気持ちがあって、それでレーベルを立ち上げたっていう経緯があります。もちろんそのあといろいろ写真家同士で喧嘩したりして、、、うまくいかないこともたくさんありました。

大日方/

ではこれ個人ですか

森下/

はい。

大日方/

森下さんの写真集としては、最初の写真集ですよね。この中には、今おっしゃったその10年間ぐらいがトータルに入っているんでしょうか?

森下/

トータルではないです。やっぱり編集作業を進めていく中で、初期の写真がどんどんこぼれ落ちていくっていうか。結局は何か、最近この二、三年、の作品がメインになっていったっていうのがすごく自分でも面白かったですね。

大日方/

そのプロセスをちょっと知りたいんですけど。

森下/

はい。

大日方/

どんなふうにまずどんな考えで始めて変化していったかと

森下/

最初は総花的になるだろうと思っていたんですよ。自分がその時々で納得のいくカットってのが年に何枚かあるわけですよね。それがやっぱりもう10年以上やっているので、かなりこうベスト盤みたいになるだろうと思っていたんですけど。不思議と、写真同士をテーブル並べていきますよね。本を構成するために。そうするとやっぱり初期の写真が全然、自分にとって魅力的に写ってこない。

割と最初の5年ぐらいは、すごく真面目だったんです(笑)。今みたいに、自分の感情とか、衝動みたいなものを写真になるべく持ち込まない、冷静な作品をずっと作っていた。写真はこうあるべきだっていうビジョンを持って街に出て、それにうまくシンクロしてくれる風景を型にはめ込んでいくっていうか。写真があまり自分のことじゃないんですね。この、写真こうあるべき、って言うイメージが自分の中に確固としてあって、それにフィットする風景をピックアップしていく、っていう作業をずっと続けていたので。

大日方/

そのころの写真こうあるべき、って言うイメージはどうやって形づくられたのですか?

森下/

写真学校での教え方がすごく大きかったと思いますね。

大日方/

金村さんのせいですか?

森下/

金村さんというよりは日吉。綜合写専の教え方がそういう教え方だったんですよね。まず自分を消せっていう

大日方/

自分を消せ?

森下/

そういう個人的な感情とか、その趣味嗜好をまず否定しようというところから始まり、カメラの機能を純粋に働かせるっていう教えです。自分もそれにのっとって、まだその延長線でずっと初期の何年間かは制作を続けていました。そのせいか、初期の作品はほとんど入ってこなかったですね、この本には。

大日方/

個展で言うと何?何という個展ぐらいのものから入ってきている感じですか?

個展のタイトルを知りたいんですけど。

森下/

最初は「重力の様式」から始まって、「倍音の虹」と。「倍音の虹」は割とちょっと評価された。手応えはあったんですね。賞もいただいて、こういうもんかなと思っていたんですけど。それ以降ですね、自分が変わろうと思ったきっかけだったんですけど。

大日方/

評価されたことが?

森下/

そうですね。

大日方/

何かまずいと

森下/

まずかったですね。自分にとっては。そうです。それ、なんかちょっと新人賞みたいなものをもらって、つまらないなと思ったんですよね。

大日方/

それってどういう感じですか

森下/

手練手管が自分でも分かっているから。こうしたら受ける作品が生まれていくっていうのが。自分でも、さっきの自動化じゃないですけど、わかっちゃうんですよね。

大日方/

うん。

森下/

特に「倍音の虹」っていうシリーズは、自分も作ってまとめるっていう段階から、光をテーマにしようっていうことで、そこにフォーカスして作品を作っていました。これはみんなが好きなテーマだなと思って、また自分も好きって分かっていたので、ある種の幸福な結びつきではないですけど、みんなが好きなテーマに自分もうまくシンクロしてすごい集中力を持っていい展覧会ができて、評価されたと。それが何かこうつまんないなってなっちゃったんですよね。このまま人に評価される作品をずっと再生産していけばいいのかな、っていう気持ちも一方にあったんですけど。それはアーティストでないと。

大日方/

それとよく似た様な感じの話をずっと前に山崎博さんから聴いたことがあります。山崎博が、彼は寺山修司の「天井桟敷」の舞台美術をやりながら写真撮っていた若いとき、そのときにそういうアングラ演劇とか写真撮るわけです。で撮っていたら、ある時段々自分の写真が上手くなっていくことに気付いたという・・・、まずいと。上手い、ってのが、やっぱりこうみんなに何というか良い写真だねって言ってもらうような、そんな意味でのレベルが上がってきちゃって。それでそれは自分の本当にやりたいことなのかっちゅうので、これはまずいっていうことで、もっと根本的な事をやろうと考えて彼の場合は、太陽を撮ることにした、っていう話を聞きましたけどね。

森下/

すごく分かります。うん。

大日方/

この本は、まず、三部構成になっていると言っていいんですよね。

三つこのマーク「*」は途中で出てくるというか、やっぱりこれ1部2部3部って言っていいのかどうかわかんないけど、それぞれのパートで、大きく波打っていくというか変化があると思うんですね。

そのそれぞれについてちょっと。ずっとこの本ばっかり見ていたもんですから聞きたいんですけれども。

まず、今回の展示の中にも現れているのかなと思うんですけども、最初冒頭、この少年が出てきますね。で、同じ人かどうかも全然わかんないんですけれども、このアスタリスクっていう本の中を何かこう媒介していくような存在として、男の子かなぁ、が、いろんな形で、出てくるっていうのはとってもすごく何て言うか、大事なポイントになってくるんですけど。見ていて、さっきその衝動という言葉を使われたと思うんですけど、1枚目の写真のこの写っている被写体の、なんか、首のちょっと振っている感じとか、何かある衝動を感じます。

この子が何かの中に走っている、なんかっていう、どういう方向性かわからないけど、感じる。これは河原ですか?

森下/

海辺です。

大日方/

海辺こういうところでしゃがみこんで、何かこういう石をなんか見ているのか、いじっているのか積んでいるのか、わかりませんけれども、こういう作業っていうのを、やったっていうふうな感じがするんですよ。自分も。だから、この写真って、これを見て、あ、俺だって思う人が結構多い写真だっていうふうに。あ、自分がいるっていうふうに。あとこの写真、全部そうかもしれないけど、パンフォーカスになってないですよね。だから手前の石のところがちょっとフォーカス外れていて、少年のあたりにピントが来て、でまた後もズレていくっていう、なんかある意味コラージュみたいに三層をこうだから、何か岡上淑子のフォトコラージュみたいに、ですね。

こことここが何かこう、重なって見えるっていうか違う異層にあるものが1枚の中に、ドッキングしているような見え方するところも、この本の全体の写真を予告しているような感じがして、すごくいい導入だなってそう思えるんですけれども、この写真に始まるところパート1と言うならば、時々ですけれども、手が出てきますよね。

なんか指差す、最後のパートにも出てくるのかな。何か森下さんのあのWebサイトを見ると、ずいぶん前の展覧会かもしれないけども、テキストに短いテキストに、入りたいみたいなこと書いています。

森下/

そうですね。写真に手を突っ込みたいみたいな。

大日方/

それちょっと話していただけますか?

森下/

その欲望についてですか?そうですねえ。

写真。自分が作っている過程の喜びの一つに、、何ていうんですかね。世界をちゃんと実感したいっていう気持ちがすごく強くあって。手触りとか、視覚でもいいんですけど。存在をより強く実感したいっていう欲望が根底にあるんです。それをより強く感じられるような作品を作りたいと。そしてそれが成功した作品の中には自分が手を突っ込んで撫で回せる。ただ見ているだけじゃなくて、もっと強くその存在の核心に触れられるような感覚が得られる、ということがあって。どういうふうに言ったらいいのかなぁ。写真に手を突っ込んで撫で回して、より喜びを深く感じられるような経験ができると思っていて。そういうことを書きました。

大日方/

スティーブン・ショアっているじゃないですか。

森下/

はい。

大日方/

スティーブン・ショアは、なんかよくわかんない本なんですけども、「写真の本質」っていう本見たことがありますか?

森下/

ないかな・・・?

大日方/

スティーブン・ショアが、たぶん教科書として作った本。日本語版でも多分本屋に並んでいると思うんですけど、その日本語訳がちょっとまたよくわかんない訳で、読んで、英語もわかんないんですけどもほとんど写真集なんですよ。そこにいろんな写真家の写真が引いてあって、それでスティーブン・ショアなりに写真っていうものをガイドするような、写真とは何かみたいなことガイドする本なんですけど、それが、冒頭、まず、最初に導入として、ですね、四つの写真を掲げるところから始まるんですね。

その最初は、これなんですよ(ロバート・フランク「ホテルからの眺め-モンタナ州ビュート1954-56年」)。

森下/

ふんふん。

大日方/

二番目が、これは、ジョン・ゴセッジっているじゃないですか、この人の「ロマンス・インダストリー」という写真集の中に入っている写真なんですけど、イタリアかどっかの工場地帯。その中のほとんど終わっちゃった工場地帯ですけど、その工場地帯の、なんか落ちていた物ですね。そういうものを、即席の紙をバックに敷いてパッパッパッと撮ったものが出てくるんです。風景とか歩き回っている写真が中心なんですけどその中に紛れ込む、この写真。

三枚目がこれ、ドイツのディーター・アッペルトという人の写真なんですけど、これはセルフポートレートで、鏡に、息吹きかけているっていう、おのれを撮っている写真なんですね。

最後がウォーカー・エバンスの、これ。1930年代の大恐慌の頃のどっかの家の壁に貼り付けられた誰とも知れない人の写真、釘で打たれた写真を撮っているって写真。ここから写真の本質っていうのに、ついて何か始まっていくって本なんですけども、この本で、このロバート・フランクはそうだと思うんですけど、この本の中の一つの利くキーワードが空間の深さっていうことなんですね。

この写真の中に入れる、ダイブできるみたいな、そういうその空間の深さを持っている写真っていうのをスティーブン・ショアがすごく大事にしているっていうか、一貫してそう僕には読めるんですよ。

この写真でいうならば、これはどっかのホテルの窓から、工場地帯をと撮っているわけですけれども、レンズをこの窓からもうちょっと外に突き出してとることも可能なんだろうと思うんですけれども、ロバート・フランクは、この窓のヘリのところで撮っていて、そのカーテンみたいなところを入れて撮っています。

そのことである種の空間の深さが、風景撮っているから奥行きがあるに決まっているんですけれども、この奥行にこの間近さみたいなものがつけ加わる。手前になんかこう差し挟まってくる。ある意味視覚を遮るような要素でもあるノイズでもあるようなものなんですけど、この間近のものが差し挟まることである、さっきの河原の少年の写真がその手前と真ん中と奥との何かある種の空間の深さを感じさせてくれるように、これも間近があって、遠くがあるみたいな、そこが写真になっていると思うんですけれども、これなんかは、森下さんの写真にすごく繋がる感じがします。

森下/

そうですね

大日方/

森下さんの写真の中には何か手前に何かあるっていうのが多いですよね。

森下/

多いですね。非常に多いと思います。

大日方/

影が落ちているっていうのもあるけれども、何か越しっていうのが結構あるんじゃないですか。

森下/

多いですね。はい。

大日方/

それで言っていただくと。何か。

森下/

そう、さっきお話出たものの山崎さんの言葉で、アウトフォーカスは写真の特権だっていうのはあるんですけど、それに僕も同意するもので、アウトフォーカスを見せることができるのはやっぱり写真だけだと思うんですよね。

ピントが合ってないものでもちゃんと強度を持って存在として見せられるっていう。アウトフォーカスになっていることでその物がより存在感を強めて見えてくるっていう実感があるんでしょうね、きっと。写真撮っているときに何も全部ピント合わせる必要ないし。アウトフォーカスになっていることで、新しい意味を付与されるっていうか。うん。

大日方/

さっき言った二番目のパートのところで正方形の画面が出てきますよね。ここでだいぶ前後と、何か様相が変わると思うんですけれども、このことをちょっと話してもらえませんか?

森下/

66ですか?

大日方/

うん。

森下/

66のフォーマットをちょっと実験的に導入しようと思ったのは、この時ちょっとあれなんですよ、生活がかなり忙しすぎて。子供を育てたりしていて、まったく自分が撮影に行く時間が確保できなかった時期だったので。

ちょっと危機感がありまして。身近な人間でも何でもいいから写真撮っていかないと作品が生まれてこないなっていう焦りがすごくあったんですね。

生きていること=制作みたいな生活をしていると、ちょっと67できちんと風景を整えてなんて思っていると間に合わない。自分は写真家だから、写真を常に生み出さなきゃならないっていう変な義務感があるんですけど。そのときにこれやばいなと思って。だからもう身近な人間の手とか足とかその影とか、そういうものなんでも作品にしていってやろうって66に挑戦したんです。それがこの作品群が生まれてきた、一つのきっかけになったとんです。身の回りのもの全部作品にしていこうっていう。あまり審美的に判断しないで、写真の善し悪しじゃなくて、どんどん目の前の世界に反応していこうっていうふうに自分が変わった時期でもあったと思います。66は。

大日方/

例えばこういうの、何か持っているんでしょうか?

森下/

写真の内容について説明するのは抵抗あるんですけども、それはあれです、子供が縁日で買うおもちゃの棒ですね、それを撮らしてくれと。はい。

大日方/

えーっと、簡単に言ってみるならば、パート1と言うのは何か触れるみたいな。

なんかここでやろうとしていることの何か方法というか、流儀というか、そういうことが底辺に出てくるような、見えてくるPart2の66のところも含めて、そこが非常に動的なパートに見えて何かどんどん湧いてくるみたいな、映像がザっとこう流出してくる、そういう感覚が強いパートで。最後のパートが、改めて何かを世界のヘリみたいな感じ。今生きている世界のヘリですか。

森下/

ヘリですか?

大日方/

うん、そのような印象を。

森下/

際(きわ)ですか。

大日方/

うん。際(きわ)ですね。この三つめのパートはどんなふうにできてきたかっていうの、ちょっと作者として、お話しを。

森下/

そうですね、本を作るときはわりと。1冊目は違うんですけど、2冊目を作ったときはわりと起承転結じゃないですけど。自分が今まで写真を作ってきた、作る上で意識していた身体性の変遷をちゃんと1冊の写真集の中に表現していこうっていう・・・

大日方/

それ重要だと思うんですけど、もうちょっと聞かせてください。身体性の変遷、だからこの一冊の中でだんだん身体性がある時間をたどっていくっていうことですか?

森下/

そうですね。必ずしも制作の時期が身体性の変遷と一致していると限らないんですけど、初期はなるべくさっきも言いましたけど、身体性を排除していくやり方。自己を消していくっていうことずっとやっていたんですけど。

まあその自分の生活が変わったりとかして、やむを得ず、自分の身体に向き合わざるを得ないというか、写真がどんどん自分に近づいてくるっていう感覚ですかね。

それまではなるべく自分と距離を置きたかったんですよ、写真と自分をなるべくこう遠くに。なるべく距離がある方が写真の緊張感が高まっていくと思って、自分の身体性をなるべく持ち込まない、っていうのを絶対的な信条として制作をしていたんですけど。それが、どんどんどんどん近づいてきているっていう感じがあって、まぁ抵抗するのもやめようってちょっとどっかで思ったんですね。でもうこれはもうしょうがないからもうもっとこっちから積極的に自分の身体性を写真に持ち込んでも、何か面白いことが起きるんじゃないかって、ここで思い出したんですね。だから何でしょうね、写真とやり合っているっていうか。

途中でもうなんかあんまり作品を作ろうという意識がどんどん希薄になっていったんですよ。最初写真と距離があったときはやっぱりちゃんとした作品、いい作品を作ろうっていう気持ちがすごくあったんですけど、途中からはなんでしょうね。写真とやりあうっていうのは何か別の解かりやすい言葉で、言いたいと思うんですけど。

大日方/

うん。

森下/

多分そうですね。生み出していくっていう感覚ですかね。

大日方/

生み出す?

森下/

生み出すっていうか、、最初は写真をゴールとして設定していたわけですよね。私も含めたみんなが着実に出来るような場所として、ストンストンと作品を生み出していく、っていうことだったんですけど。写真がゴールじゃなくなるというか。

大日方/

うん。

森下/

自分の身体性を持ち込むことで、なんかもうわけの分かんないものにしていきたいというか。写真をゴールじゃなくって、問いとして設定するという。

大日方/

問い?

森下/

はい。何か問いかけるものを自分は生み出していきたいという風に変わったんでしょうね。自分との結びつきが強くなることで、もっと分からないものを作っていくっていうか、その流れがこの本の中に表現出来ていると思うんですよね。

大日方/

これ、あの、本だなっていう感じがすごくします。

森下/

そう!読んで欲しいという気持ちはありますよね。

大日方/

写真集っていう世の中にはいろいろあるもので何かだけど、本っていう佇まいっていうのを得るのはなかなか少ない。

森下/

それは嬉しいですね。

大日方/

これをだから写真集なのかどうかわかんないっていう本があるっていう感じ、しますね。

森下/

いいですね。そう、なんか写真集かどうか分からないっていうのはすごく誉め言葉ですね。

大日方さん、すごく嬉しいです。

大日方/

うん。これ編集で湊さんが入って湊雅博さんが、編集と。

これは湊さんを僕は大分知っている方なんですけど、写真家で。湊さんとはどういうやりとりだったんですか?

森下/

湊さんとのやりとりは結構、なんていうかすごく具体的なやりとりが多かったですよね、写真をちゃんとまとめていく作業。すごく手伝っていただいた。

大日方/

どういう面で?

森下/

どうしても僕がまとめようとすると、本の編集の中でも分からなさを求めてしまう。なるべく分かんないような本を作りたいって思っちゃうんですけど、彼がそこをちゃんと軌道修正してくれて、それじゃ伝わらないからもうちょっとこうまとめよっていう手綱を引いてくれたっていう感じですかね・・・はい、うん。そうですね。

最初の本ということもあって、10年分の作品をまとめてるという作業ですから、自分だけじゃなく相談する相手がいたのは本当によかったなと思っています。

大日方/

じゃあ今回の作品、いかがですか?

森下/

大日方さんの率直な感想を先に伺ってもいいですか?パッと見てもいいんですけれども。

大日方/

まず、こんなにコントラストが強い写真だったのかなっていうのを最初は入ってきて、はい。

なんとなく、この写真集「asterisk」なんかでももうちょっとトーンがある世界じゃないですか。で、わりと水の印象あるわけですよ。森下さんの写真。

湿り気とか、あと実際に水面とかが出てくることとあると思いますが、あると思う、だから、ある種そういう液体の流動性のある、そういう水がその作品の中や、写真と写真の間に、媒介するというか、水の中を行くみたいな感じが勝手に思っていた面があるんですね。

それは前、PLACE Мでやった展示の印象強かったか知らないんですけれども、それと対してここに立ってみると、水がないっていう感じ。

水気が、それいいことなのか悪いことなのかも分かんないんですけど、なんかある種の渇きを感じ、その渇きのイメージが、さっきその、手を入れるとかいう話が出たと思うんですけど。それがあんまり入んないんじゃないかなっていう。ここ今回の展示には。わりと、いろいろあるけれども、立ちはだかる面みたいな感じの写真が多いなっていう感じはしています。

あとですね。前からあることなんだけれども、こういう画面の中に真ん中の線。

森下/

はい。

大日方/

こういうページの折れ目の様な、喉のこの様な線が。例えば、これこれ、うん。なんか強く感じますね。

写真がそこで、折れるみたいな感じっていうんでしょうかね。なんかそういう、まずそういうところが何ていうかその後に受けている印象で、だから何かどういうことなのかなっていうか、違うぞ、これはっていうような。ともに、ですね、あるスピードは感じますかね。

だからここのやつ、やっぱり今話し聞いてわかったけど、10年分の中から積もられている、

これは実際どうかわかんないけれども、

なんかあるスピードの中で生み出されてきているようなふうになんとなく思えているんですけど。

森下/

そうですね。実際ここに並んでいるの、この1、2年の作品がほぼそうで。

なので、新作が多いですよね。常に写真を置き去りにしたいというか。

大日方/

それを聞きたかったんですよ。それ、どういうことですか?

森下/

さっきも、写真をゴールにしないって言ったんですけど、それと同じ意味です。

自分が欲しがっているものを写真に託して、欲しがっていたものが手に入ってよかったねっていうことを僕は一番忌み嫌うものです。写真の使い方で、できれば写真の自分の理解を超えたものであって欲しい。なるべく言葉にし得ない、そんな質感を写真に込めたい。

簡単に言葉になったり、コミュニケーションのツールとして消費できるようなものだったら写真である必要はないと思っていて、それがしたいのなら単純にコミュニケーションすればいいじゃん、と思っているんで。手管だとして写真を使うっていうのは写真家のやるべき仕事ではないと。

なので、自分の写真家としての理想をちゃんと体現していきたいというような、そういう意味ですね、置き去りにするっていうのは。自分のための写真じゃないんだよっていうことですかね。鉄則だと思っています。

あと線がすごく多い、というのは、単純に僕も自覚しています。極端なことを言えば、線が1本入っていればいいみたいなところがあります。画面を1本の線で成立させるみたいな。

写真を始めた当初からの欲望ですね、ひとつの点とか、線が1本入っているだけでそれを作品として成立させる。それを写真でやろうみたいなことはわりと最初から思っています。画面を構成するものをなるべく削ぎ落としていって、できるだけ少ない要素で作品を成立させる、という理想がありますね。

でもだからといって特殊な撮影の仕方をするんじゃなくて、身の回りにあるものを素朴にパッパッと撮るだけなのでなかなか難しいんですけどね。当たり前ですけど、どうしても何かが写ってきてしまうじゃないですか、何もなくそうと思って空を撮っても空は写るし、かといってレンズを下に向ければ地面写っちゃうし。でもそんな風に具体的な情報に溢れた現実を極度に抽象化しようという不可能な欲望を実現しよう、ちょっと無茶なことをやってみようとした方が面白い結果が得られるんじゃないかなと思って、やっているんですけどね。

大日方/

今回のその本の、なんていうか生成の仕方っていうのは、この最近撮ったものの中からまた集まってきた?

森下/

そうですね。

大日方/

今回の本作りにあたって、こう考えられたことっていうのはあるんですか?

森下/

今回の本作りは考えたことは、さっきも大日方さんもおっしゃってくださった、スピード感ですかね、うん。

編集も一時間くらいでぱっと決めました。候補の作品を床に並べて一気に。すごく早かったですね。

そういう意味ではなんか一種の実験というか、自分こういうことが出来るんだなっていう発見ではありましたね。

大日方/

タイトルもすぐ決まったんですか?

森下/

タイトルは前から温めていて、ずっと使いたかったタイトルです。

当初は英語ではなく日本語で「光の影」というタイトルを付けていたんですけども。

何か「光と影」かとみんな思っちゃうみたいで。森山大道にも「光と影」ってあるじゃないですか。世の中でも光と影っていう言われ方がすごく多くて。ただ僕は表現したかったのは、「光の影」なんですよね。

光が物に当たることで、物体は目に見えるようになって、影も生まれるっていうことなんですけど、

光自体、そうやってものを浮かび上がらせる光自体に、光が当たっても影は生まれない。光自体は見えないじゃないですか。

物に当たらないと光は見えない。我々は光自体を見ることができない、っていう前提をよくよく吟味してみたいと。

だから、物の存在をちゃんと我々の眼に届けてくれる光というものの存在が、一番重要なんじゃないかっていう。これはあんまりこう突き詰めると、何か神とかそういう話になりそうでとちょっと大げさなようですけど、、、言ってみれば個人的な神ですね、一人でやってる宗教みたいなものです。存在を定義付ける神とか、そういうものを浮かび上がらせたいっていう欲望が僕にはすごくあって。それを表現したかったのがこの「Shadows of Light」っていうタイトルなんです。

大日方/

ちょっとまだ解かんない。

森下/

そうですね、、、存在の基盤を定義づける、というようなことかと思います。

大日方/

これ前と紙とかも違います?

森下/

ちょっとギラギラしたものにしようと思って。

一冊目はちょっとあまりにもそっけない素朴なデザインだったので、もうちょっと変えようと思いましたね。いい本だなぁ~。(会場笑)

大日方/

そのえーと・・・やっぱりあれですね、大きく変化しているっていいですよね。

森下/

そうですね。自分でもこんなに変化をしていくタイプの作家だと思ってなかったです。写真家としてデビューしたころ想像していたのは、一生誰にも評価されずに自分の作品をコツコツと作り続けるタイプの作家なのかと。

大日方/

これ1冊目で、何か反響っていうか何か手応えって言うのはどうですか?

森下/

種を蒔いているようなものなので、周りからの反響はまだポツリポツリですけど、僕自身にとってはすごく大きい影響を与えたと思いますね。やっぱり今まで社会とあまり繋がっていたいと思ってなかったんですけど。

大日方/

繋がっていたいと思ってなかった?

森下/

はい、繋がりたいと全然思ってなかったんですけど、本を出すことでもう否応なく繋がらざるを得ないというか。

大日方/

それは、本作りとか、売っていくことですね。

森下/

そうですね。あともうみんなに写真がどういうふうに見えていくのかっていうことがやっぱり少しずつ考え出したし。今まではそういうの、ぶっちぎってやっていこうと思ったんですけどね。(笑)

今もあるんですけどそういう部分は。これ人にはどう見えているのかなってちょっと考え出したところありますよね。変な言い方ですけど、ちゃんとこう、自分のことも人のことも大事にしようと思い出したというか。

大日方/

森下さん、ワークショップもされているんですよね?

森下/

そうですね、今はちょっと個人的なレッスンしかしてないですけども、以前はやっていました。

大日方/

森下さんのワークショップって、どういう感じなんですか?

森下/

いやー、非常にシンプルに、ただただ写真を選んで組み立てるっていう、作業の繰り返し。

大日方/

その、受講した方が持ってくる写真を一緒に検討するという・・・

森下/

それだけです。ひたすらブラッシュアップしていくという・・・

大日方/

それいつ頃から始めたんですか?

森下/

去年・・・去年ですね。はい。

大日方/

去年ですか。

森下/

はい。

大日方/

それはやってみて何か感じられたことあったんですか?

森下/

感じるものですか?

大日方/

丁度その本作るのとワークショップやるのが同じ時にされた訳ですよね?

森下/

意外と自分、先生向いていると思いましたね。ちゃんと見られるんだな、という。曲がりなりにもずっと自分の作品を編集し続けて、良し悪しを判断し続けている作業を繰り返してきたおかげで、筋力として自分に身に付いているんだなぁ、というのをすごく感じました。あと自分の中に蓄積された何万という写真が層になって、目の前の作品と反応してゆくというのは、自分の作品を編集する場面だけじゃなく、他人の作品を編集する際にも生きてくるんだなと。人の作品を見る時でも、すぐ判断が出来る。

勿論、日吉で教わったこともすごく大きかったと思うんですけどね。写真かくあるべし、っていうその一種の強い規範みたいなものがあったので、それはしっかり自分の中に根付いているなと改めて感じました。それからどう距離を取るかはまた違うんですけどね。

大日方/

これからどう向かっていくんですか?

森下/

そうですねぇ。さっき線一本とか写真を成立させたいみたいなことは言ったんですけど、出来ればそっち向かいたいですね。

もしかしたらさっき言ったことと相反するかもしれないですけど、なんやかんや言ってもやっぱり写真を作品としてちゃんと一枚の写真で勝負しなきゃ駄目だっていう気持ちがすごく強いタイプだと思うんですね。でなるべく次はそれを捨てたいと思って。それがなくなったらもっと、本当に強い作品が生まれるんじゃないかっていう予想があって。一点一点の作品をちゃんとまとめ上げようという意識を捨てた時に、どういうものが見えてくるか。それが次の実験ですね。何が起こるかなぁ、と楽しみなんですよ。

今回の作品にも少しずつその片鱗は見えてきていると思うんですけど、まだちょっと真面目に作っちゃっているなぁ、っていうのがあって、どうやったらそれを外せるかなぁって、これから色々試していこうと思っています。

司会/

何か質問してやろうみたいな人(笑)いらっしゃいませんか?

質問者/

じゃあ、いいですか?

森下/

はい。

質問者/

最初の方に、捨てていく、捨てていく、とおっしゃっていたじゃないですか

例えば一点として成立させようとする意識を捨てていくとか、その捨てていく先に全部捨てたらどうなっていくんですか?その先が見えているということですか?見え始めていると?

森下/

全部捨てていく・・・あー、あの最後の?

何となく感触としてだけど、ミニマルというと簡単なのかなぁ。写真なんだけど、ミニマルな強度を持った作品。

写真だけど、ミニマルであるっていう矛盾を抱えながらでも、作品になっちゃうような。なかなかうまく言えないんだけど。昔からミニマルアートがすごく好きで。それを写真でやりたいなっていう気持ちがずっとあって。なんとか実現させたい。でも変に手管を使って、無理やりミニマルまで持ってくんじゃなくて、シンプルにただ写真を撮るだけで表現することができる、またそういう技術もだいぶついてきたなっていう感触があるので、多分出来ると思う、それは。

司会/

他、何かみなさんありませんか?林さんどうですか?

質問者/

前、Facebookかなんかで、カラーの、デジタルカメラ買ったかなんかであげていたやつがあって、これでも出来るかもって言っていた気がしたんですけど。

ゆくゆくはそのデジタルカラー作品も僕個人としては見てみたい気がしているんですけど。どうですか?

森下/

うーん、たまに浮気をして手を出すみたいなところあるんだけど、なかなかテンションが上がらないっていうか、やっぱこっちのモノクロ銀塩のテンションに戻っちゃうとなかなかカラーデジタルへ触手が伸びなくなっちゃって。あれでテンションが上がるって、のはどういうことなんですかね。

質問者/

いや、制作で捨てる、捨てるって言っていたから、もしかして手法・・・

森下/

あぁ・・・銀塩の?

質問者/

捨てていくのかな、とちょっと思ったんですけど

森下/

現段階ではちょっと考えづらいかも。何かね、さっき身体性って言ったけど、それが全く消えてしまうっていうか、デジタルで作っていると。逆に聞いてみたいかな、自分は暗室ですごく気分が高揚しているんだけど、デジタルの人はどこで盛り上がるんだろうっていうのがちょっと疑問ではあるかな。ゾクゾクする瞬間とか。撮影以外では自分の身体性が介在しない訳じゃない。

質問者/

僕はそうですね。逆にそういう身体性っていうんですかね、そういうものとの直結みたいなものを意図的に避けて、しないようにしています。

だから結構カメラ変えたりするんですけど、そこで絶対生まれてくる層があるじゃないですか。自分とカメラ、機材とのあいだに。それで、見方とか撮り方とか、そこで生まれる差異、ノイズを自分に呼び込む、すごく具体的なひとつの作業として、デジタルカメラで撮る。逆にそういう没入・・・を何ていうか。

森下/

しないようにしている?

質問者/

うん、そうです。僕は、でもそこでテンション打ち震えることは勿論ないんですけど(笑)

一つの自分のルーティン作業としてそういうふうに捉えています。

でもまぁずっと使い続けていると、どうしてもこう同期してくる部分、ってのは、慣れてくるというか、まぁ飽きてくるというか、だから希望は年に一回カメラを変えたいんですけど、

まぁちょっと物理的に不可能・・・

森下/

たしかに、金銭的にもね。(笑)

司会/

他なければ、そろそろ時間なので一旦じゃあ一部はこの辺りで切り上げさせて頂きます。

ありがとうございました。

大日方/森下/

ありがとうございました。

 

(第二部はスライドを投影しながらの進行だったため割愛)