Artist talk
Osamu Kanemura & Daisuke Morishita
@Galerie Omotesando

金村修(以下K) よろしくお願いします。

森下大輔(以下M) よろしくお願いします。

K   写真家の金村です。

M   森下です。

K   おめでとうございます。

M   ありがとうございます。

何から話しましょうかね。

K   そうねえ。君の生い立ち、聞いてもしょうがないから。「君」なんて言っちゃいけないね。「先生」の生い立ちなんかね、聞いてもしょうがありませんから。

森下さんはね、僕の生徒だったんです。東京総合(写真専門学校)の時の。二年生の時の。

僕、彼が一年生だった時の写真、見たことあんだけど、もっとフォルムと言うんですか、縦の線がすごく強烈な強い写真で、割と印象は覚えているというか、その後二年生になって、その時もまだね、うーん、何かの影響がすごく強くて、束縛されてるなという感じはあったんだけど、ただフォルムと言うのかな、その物の強さというのは印象的だったんだけど、ある日、神戸の写真を撮って、それがすごく雰囲気がある写真だったんですよね。で、東京総合写真専門学校と言うのはリー・フリードランダーとかそういった写真の影響下だから、もっとフォルマティックなんですよ。だから画面からエモーショナルなものはもういらないみたいな学校だったんだけど、そんな中で割と珍しく構図と言うかね、そういう形の作り方ははっきりしてんだけど、だけどちょっとどっか違うものが入り込んできていると言うのかな。だからそれがすごく新鮮でね。だから割と学生さんに人気があったんじゃないですかね。彼はその後卒業して研究科に行ったんだけれど、その後一年生の生徒が上がってきたとき、みんな森下さんの真似と言うのかな、みんなと言うのは言い過ぎだけど、半分ぐらい真似していましたね。何が好きかって言うとね、先生と森下君のですと言うからね。偉くなったなあと思って。早一年でねえ。ただ、まあ、あそこは、ガチガチのフォルマリストの学校だから、どっかそういうエモーショナルな部分を求めるような人も多かったんでしょうね。で、そのあと研究科行って、すぐコニカで賞取って。

一番最初の個展で賞とったんだっけ?

M   いいえ最初はニコンでやって、その次ですね。二回目。

K   最初ニコンか。そうだな、あの頃は最初ニコンやって、次コニカというのが割と普通のコースというか。ニコン、毎年やらしてくれないから。ニコンの時の評判はどうだったんですか。

M   写真をやってる人には何かこう評価が良いというか、写真家にはウケがよかったと言う印象ですね。

K   プロ受けってやつですか。

M   通好みというか。

K   まぁニコンサロンはね、ああいう場所だから。まぁ花や昆虫をとっているような人が嫌いだろうけど。その時はまだ画面は明るかったですよね。すごく。

M   そうですね。真面目に写真を作っていたという感じですかね。

K   その後コニカで。コニカくらいから一気に画面が暗くなってきて、それなりにエモーショナルになってきたというのは。

東京総合の人って、僕もそうだけど、卒業すると結構黒くなったりするんですよね。写真がね。

M   金村さんは最初から黒くなかったですか。

K   僕は最初はグレーです。そりゃそうですよ。号数2号ですし。いわゆるグレートーンでやるんですよね。東京総合(写真専門学校)はグレイトーン以外はプリントじゃないと言われていたから。だからそれに合わせてやっていたんだけれど。

なんかその時からすごい変わった気がする。そういう意味で今回の、まぁ、ここに展示してある写真は割とアブストラクトな写真が多いけど、写真集のやつはもうちょっと具体性が強いというか、こっちは意識的にアブストラクトなやつを集めたんですか。

M   ここにあるのはほとんど新作なんですけれど。

K   コピーフィルム使ってるんでしょ?

M  そうです。そうです。最近は抽象的な作品が増えてきてますね。できるだけシンプルにシンプルにしようと思っています。

K   割とこれ、デジタルでやると簡単なんだけど、うーん。

ね、皆さんね、人の頭がこうやって一個ずつ光って心霊現象みたいな感じで不思議だなぁと思ってるでしょうけれど、実はなんかこれ、さっき聞いたら、現像をちゃんと攪拌しなかったそうな。フイルム現像は一分間に一回攪拌しなきゃならないんだけれど、めんどくさいからやらなかったらしいんですね。笑。手を抜くとこういう風に美しいものができるんですよね。笑。いや、なんか空にムラがあってすごく美しいなぁと思ったら、あー現像してないんだ。攪拌してないんだ。ていう。一分に一回も大変だからねぇ。

M   めんどくさがってしていないわけではないですからね。笑。ちゃんと狙いでやっていますからね。

K   あー、狙いったってどういう風に出るか分からないでしょう?

M   そうですね。笑。

K   ねー。普通これやると落とすんだけど、なんだろ雰囲気出るよね。あと黒、真っ黒につぶし始めたでしょう?

M   そうですね。つぶして飛ばしてという感じですね。

K   コピーフイルムだから黒く潰れるだけなんだけど。特にほら、今の印画紙って、銀の量が少ないから黒って汚いんですよ。20年前の印画紙はもっと黒きれいだったから。いやそれを言うと30年前の印画紙はもっと綺麗で、40年前はもっと凄かったというね。笑。まぁ銀の量なんですけどね。だから今フイルムで写真をやるって言う時、黒は汚いんですよね。もう美しい色は出ないんですよね。言ってしまえば。日本カメラとかね、ああいうカメラ雑誌を読むとね、フイルムは美しいと言うけど、あれ嘘です。もうこんなに印画紙が悪くなってきてるから。その中であえて黒を出してすごいトラッシュな感覚って言うのかな。

最初はもう少しうまいプリントを目指していたんでしょ? ファインプリントというか。

M   まぁ、真面目に作っていましたからね。

K   いや今も真面目だと思うけれど。

M   今はちょっと不真面目かな。

K   これは全部コピーフィルム?

M   今回は全部コピーフイルムですね。Try-Xとか普通のフイルムと並べられるかなと思ったんですけれど、あまりにもトーンが違いすぎて、外しましたね、全部。

K   なるほどね。やっぱりトーンが違うもの同士は合わないと思います?

M   クオリティーがあまりにも違ったので。

K   僕、この前シン・ゴジラ見たんだけれど。見ました?

M   見ました。

K   あれ、めちゃくちゃでしょう、画像が。

M   画像がめちゃくちゃ?

K   スマホの色使ったりとか、カメラ使ったりとか。

M   へー。

K   見てない?

M   見ました! 笑。

K   あれはいろんなカメラ使っているから。それでも統一感はあるんですよね。で、この写真集を見ると全部まとまっているから。だから割ともう、そういうことにはそんなにこだわらないのかなあっていう。うん。森下さん、鈴木(清)先生に教わった時でしたっけ?

M   いや、僕は大西みつぐさんでしたね。

K   ああ、大西さんか。

M   はい。

 

K  鈴木先生はほら、当時学生だから展覧会観てたと思うけれども、もうカメラバラバラだったじゃない?

M   使ってるカメラですか?

K   うん。で、現像も100度現像やってたり。僕にも勧めていましたよ。5秒で終わると言って。やってみたら大変なことだったんだけれど。笑。終わるには終わるんだけど。あとカラーフィルム煮たりとか。そういうなんかいろんなことをやって、結局それは何でやるんですかって僕は学生だから質問したんだけど、よくわかんないけど、何かやりたくなるって言ってて。だから何か言語化できないっていうか、なんかイラついているというか、そういうことの表出だったんだろうなと思うんだけど。鈴木先生は土門拳賞を取った人だから、当たり前だけど普通にストレートに写真をとって、一列に額装するとうまいんですよ。それはもう美しいなあという。保守的なくらい美しかったですけれど。まぁそれが嫌だったんでしょうね。ある種できてしまった事に対して苛立ちがあって、100度現像やったりとかしてたんだけど。

森下さんもある意味、それなりにフォルマティックな画面を成立させようと思えばできたわけだから、どこか飽きたりとか苛立ちとかあったわけですか。

M   うーん。両方ありますね。もっと乱暴な方に振り切りたいと言う気持ちもあるし、やっぱり一点一点ちゃんと成立させて美しい作品を作りたいという気持ちもすごく強いですね。

K   でもそれは昔からそうだよね。

M   そうですね。一点で勝負したいというか。

K   でも写真集を見ると、結構複数で見てる快感てものがあるわけでしょう?

M   そうですね。

K   一点性を否定するような写真がいっぱい集まってたりするし。そこが面白いなぁと思って。それって相容れないものじゃないですか。一点を否定する写真を撮りながら一点でやりたいとかね。普通どっちか傾いちゃうんだけれど。だから鈴木先生は会場のインスタレーションで構成し直したりとか、写真集の作り方でぐちゃぐちゃにやったりとかしたんだけど。そういったアンビバレントな欲望というのがやっぱり最初の頃からあったんだなぁって言う。どっちかに傾くのかなあと思ったけど、未だにアンビバレントというかね。で、被写体を見たいという写真と被写体なんてどうでもいいじゃないかという写真が混在しているし。その辺はどうなんですか? 例えば、ものがクリアにはっきりしているとか。この写真集だと最後のほうの俯瞰している街とか。

M   一貫しているのは、写真になってそれを見たいという気持ちがすごく強いというか。だからどっちでもいいというか、被写体はあまり関係がないというか。極端なことを言ってしまえば被写体はあまり僕には意味がない。写真が作りたいということで、写真を撮っているので。

K   それはやっぱり、森下さんにしても僕にしてもね、ゲイリー・ウィノグランドとかリー・フリードランダーを前提にしてきている人ってのは当然ですよね。被写体はまぁどうでもいいんじゃないみたいな。でもまあ手段というわけでもないってのもあるけど。でもそこに重要性はないという。それはシャッターを切るきっかけでしかないという。という事はこれはやっぱりアレなのかなぁ。自分の見ているというか視線の軌跡ていうわけじゃないけど、自分の存在みたいな。写真家というのは被写体を見せるでしょ? 私の撮っているものはこれですという。例えば東京撮ってるんだったらこれが東京ですというみたいなね。これはそういうところもあるんだけれども。海であったりとか住宅地であったりとか。でもあえてできなかったりするというのは???、それはフィルムや印画紙が持っている黒のトーンの美しさであったりとかもあるのかもしれないけれど、プラスやっぱり自分の存在論というのかな。特に写真集の最初の文章、それに感じますよね。被写体がどうのこうのとか。あと写真についての写真でもないし。コンセプチュアルなわけじゃないでしょう。森下さんてやはりコンセプチュアルフォトって興味ないんですか。

M   あまりないですね。

K   そうでしょうね。まさかトーマス・ルフを好きになるとは思えないから。

M   あと、スタイルにもあんまり興味は無いですね。

K   スタイル?

M   なんだろ、……スタイルです。

K   うん。スタイル。笑。

M   なんて言うのかな。私はこういう色で売っていますとか。

K   ああ。ああ。自分の売りね。それはスタイルと言うよりもキャラクターみたいなものね。写真のね。

結構この写真で面白いのは、中判使ってコピーフィルム使っているところでしょうね。中判というのは基本的にものをきれいに写すためのカメラだから。それを使ってコピーフィルムを使うだなんて、それじゃぁ35ミリでやっていればいいじゃないかという話になるんだけど。

この写真集には4×5もあるでしょう? あの4×5も美しいですよね。あれ普通の使い方じゃ無いから。

森下さんて4×5できたんですか。

M   4×5ですか? 4×5できたんですか?ってどう言う意味ですか? 笑。

K   ちゃんと組み立てられるんかなあとか。笑。

M   できますよ、それは。

K   ほー。組み立てられんの?

M   もちろん。

K   ほー。えらいねー。俺、組み立てられないよ。笑。というか、組み立てことない。授業でやったけど、サボってたから。

写真のサイズってずっと変わんないでしょ?

M   印画紙のサイズですか?

K   うん。

M   いや、ずっと小全紙を使っていたんですけれど、今回は大全ですね。

K   あ、小全だったんだっけ? あーそうだね。前より大きいなと思ったら。

で、なんでまた写真集を出そうと思ったんですか。写真集作るのにお金かかるでしょう?

M   展覧会をずっと十何回も繰り返してきて、展覧会に飽きたというところもありますね。あと、自分の写真が違う見方をしてほしいという気持ちも生まれてきて。つくづく僕は自分の写真が本当に大好きなんだなと思いました。

K   ああ、それ、なんかいつもブログに書いてあんねえ。

M   ええ。本当に好きなんだなあと。

K   プリントしてて、定着液に入れている段階って好きですよね。定着液に入れて水で浮いている段階の自分の写真てかっこいいなぁって思うけど。だんだん乾いて、次の日になるとね、何かアラしか見えないってね。笑。

でも全部が全部好きって言うわけではないでしょう? 全部好き?

M   全部好きです。

K   全部好き? すごいねえ。

M   ここに出ているのが全部好きです。

K   ああ。そりゃそうでしょ。展示してるのは好きなやつだよ。

ああ、全部好きなんだ……自分の写真が好きって珍しいね。じゃあ毎日ここにきてんの?

M   今回は来てますけど。

K   俺は初日しか来ないから。うん。何でかって言うと、なんか見てると頭が痛くなってくるから。

M   まぁ金村さんのはそうでしょうね。

K   あーそうなんだよ。なんか発狂してくるなあとかねぇ

M   でもそういう作品作っているから、しょうがないじゃないですか。

K   ここにいるとやばいことになるぞみたいなねえ。笑。ああ、そうなんだ。

M   最近やっと素直にそう言えるようになってきました。

K   それと黒い画面が増えてきているのは何か関係があるんですかねえ。黒ってほら画面が多いとそこに自分の気持ちって入れるじゃない? グレイトーンばかりの写真て、美しいのは美しいけれど、そんなに気持ちが良いなぁとか言うものじゃないから。グレイトーンはものがはっきり見える写真だから、あまり思い込んで見れないっていうの? 写ってる物と視線がぶつかるというか。黒はすーっと入れるから。で、黒って言えば、やはり日本では森山(大道)さんじゃないですか? 黒の話をして森山さんの話をしないわけにはいかないでしょう。でも全く影響受けていないでしょう?

M   森山さんですか? そうですね。まあ嫌いでは無いですけれど。

K   嫌いではないと言うところが凄いですよね。笑。今度森山さんに会った時、言っとこうかなぁとか。「嫌いじゃないらしいですよー」とか。笑。

嫌いじゃ無いけど影響は受けていないでしょう?

M   影響は受けてないですね。森山さんはやっぱりデザイン的な要素が強いから。

K   そうなんですよね。だから通常の日本の写真集を見ると、多分これからは森山大道の影響下で写真は決定されるだろうという風になってくるんだろうけど。

M   本当ですか?

K   なるでしょう。だってこんなに売れてるんだもの、森山さん。俺だって最近「森山さん素晴らしい」って言うし。笑。見に行ってないやつなんだけど。なんかいいなぁとかね。

全く森山さんとか荒木(経惟)さんの影響ないんだよね。東京総合(写真専門学校)だからフリードランダーとかルイス・ボルツかっていうとそれもないわけでしょ?

M   ボルツは大好きですけれど。

K   いやあ、好きと影響は違うから。それを言ったら私だって、ルイス・ボルツ大好きですよ。

だからすごくこう、ある種の写真史から隔絶している写真っていうのかな。例えば隣の(MUSEE Fで展示している)阿部(明子)さんていう人、僕は初めて見たけど、やっぱトーマス・ルフとか山崎博さんのポスターがあって、こう、どこか写真史と繋がっていくというのがあるんだけど、森下さんにはないよね。

M   そうですね。ないですね。

K   初期の頃はもうちょっとあったと思うんだけど、払拭されたというか。写真的な記憶がゼロというか。あーでもそうでもないか。何かあるんだよね。うん。なんか違うところから影響を受けているというか。そんな感じがする。例えば詩とか。文学?

M   そうですね。僕はそっちの方が多分。

K   文学はよく読まれるわけですか?

M   よく読んでるとは言えませんけども、好きですね。詩とか文学は。

何年か前に気がついたんですよね。必死で写真を作ってはいるけれど、自分は写真にはあまり興味がないなと。

K   それは面白いね。

M   はい。写真というメディアにあまり興味がないなと。

K   では何に興味を?

M   何でしょうね。

K   写真を作っている自分?

M   自分にもそんなに興味は無いですね。この行為にはすごく興味はありますけれど。写真が生まれて行く過程とか。

K   でもできたやつにはすごく愛着が湧く訳でしょ?

M   ですね。はい。

K   それは「写真」が好き……「私の写真」が好きなんだ。

M   私の? いや、「私の」というところは結構欠落しているような気がするんですけどね。

K   こういう匿名性の写真が好きってこと?

M   そうですね。それが出来上がった時の喜びがすごく強くて続けているというか。

K   作家性が薄いっていうか。刻印されていないとみたいな。ロバート・フランクとか。

M   そうですね。刻印されていないのが理想ですかね。

K   ただ難しいですよね。刻印されていない写真て歴史に残らないから。というか、刻印されていないというような刻印のされ方があるから。まぁ無印みたいなものですよね。でも確かにちょっと、ファウンド・フォトみたいな感じの写真を自分でやるみたいな。全然ファウンドじゃないいんだけど。もうちょっとこう、ゴミっていうか、言い方アレだけどトラッシュっぽい写真というか、なるべく写真に意味がなくなって、いい写真、そこにこう愛情感じると?

M   それは金村さんのやってることじゃないですか。

K   いやいや、そうだね。笑。あなたはどうなの?

M   僕はあまりそういう乱そうと言う気持ちは無いですね。ちゃんと強度を持って成立させたいという気持ちはやっぱりありますね。

K   強度? 写真の?

M   はい。

K   まあ確かに、作家の名前が刻印されている写真っていうのは、写真の強度が少し消えるから。最近の森山さんって作家の名前がない写真が多いじゃないですか。カラー写真。

M   カラー、撮ってるんですか。

K   うん。見ると、なんか森山さんは森山大道を捨てたんだなという。本当にどうでもいい写真。何か下手だったんだなぁみたいな。いや、これ褒めてるんですけれどね。全然デザインチックじゃない。今の方が写真っぽいんじゃないかなぁ。

何年か前、大阪国立国際(美術館)を見たとき、まぁほら当然モノクロ写真は、まぁあの人はモダニストだから、当然デザインぽいんだけど、新作のカラーがあって、すごい下手で、なんだこりゃって思ってたら、なんだ森山さんかって。でも見ていたら、そっちの方が面白かったりするんですよね。やっぱり有名な写真ていうのは「森山大道」を見るから。でもそれは違うから、それは写っているものを見るから。だからそういうところじゃないんですか。森下さんの言うところの無名性ていうか匿名性ていうか。

M   ……

K   ……考えてんね。笑。

M   うん、そうですね。……下手に撮ろうとは全く思っていないけどなあ。

K   うーん。ものが見えるというのかな。要するにその森山さんはデザインチックじゃなくなったということで。ただ、こういう縦のラインとかフォルム的なものが入ってくるとちょっと違うかなという感じはするけど。その、画面作りというのは基本うまいんだなという。まぁそういう感じはすんだけど。

写真集はね、両方入っているから。どっちかがどっちかを打ち消していくみたいな写真の作り方で。

M   フォルムできちんと画面を構成するというのは全然手放せないですね。方法として。そこをずらしたり、外したりするつもりは全くなくて。真っ直ぐ写真を作りたい。

K   真っ直ぐな写真? 反対だね。

M   写真に対してシニカルな態度を取りたくないというか。

K   なるほど。こういうミーティングフォト???みたいなものも入ってきてるしね。前は自分を入れるってことをしなかったでしょう?

M   そうですね。

K   なんかいろんなことをやってるなあと思うし。だからちょっと「私写真」とは違うなあと気もしないこともないんですよ。その辺はどうですか?

M   私写真ですか。

K   そう。私写真。川内倫子さんでもいいんだけど。

M   と近しい匂いがするってことですか?

K   私写真。まあ私が撮ってるんだ、みたいなね。基本的にテーマはないんでしょ?

M   テーマはないですね。

私写真……(逆に)私が消えて欲しい。私の生活とか感情で撮っているわけではないので。

K   こういう手が出る写真は「私を消したいなあ」みたいな?

M   手がですか?

K   うん。これ、なんで前から出てんのかなと思って。いや別にこれ、嫌いじゃないんだけど。見た時なんかこれオカルトな感じがすんなあと思って。これ、結構、今までの写真にないタイプの写真だと思うんだよね。

M   そうですね。

K   これですね、みなさん。と言っても反対だから、わからない。笑。

だから、そういう意味じゃ、もうちょっと文章も読みたかったなあと思う。別にこれ、批判なんかじゃないんだけど。ほら、文章もなんだかんだいって写真じゃないですか? 作家の書くことって全部写真と関係するから。文章であったり、まあ喋ったり。基本、ご飯食べるようなこともまあ作家活動に入ってくんだけど。その、言葉っていうのはどうなんですか。もっと書こうとか思わない? なんか字少ないじゃない? ファンとしてはもっと読みたいんじゃないかな。森下さんの書いた文章を浴びるように読みたい人っていない?

M   いないと思います。笑。

K   そおお? だって「いいね!」が98もついていたじゃない、この写真集の発表で。俺、71だよ。すうごい負けたと思った。笑。もっと書いてもいいんじゃないのかな。だってもう、文章、写真だと思っているでしょう? 思ってない?

M   文章が写真、ですか?

K   うん。写真活動の一環でしょう。

M   そうですね。

K   なんでそう思ったかというと、この文章、写真のことなんか全く説明してないから。要するに、写真にぶつけているわけだから。

M   これまでも文章は書いてきたんですけど、ついつい詩的な方向に行っちゃうっていうか、お茶を濁しがちになるんですよね。情感とかを織り込んで。

K   うんうん。まあ文学が好きならそうなるわね。

M   で、今回は三つテクストを書いたんですけど、そうならないようにってすごく気を付けましたね。変な情感に逃げないように。

K   あと、情感が入った文章って英語に訳すの、難しいんだよね。

M   ああ、それはありますね。

K   英訳前提にするとさ、もっとロジカルになるから。

M   すごくクリアになりますね。

K   そうそう。その分つまんなくなるところもあるんだけど。不透明な部分って消えるから。

そういえば、研究科行ってたでしょう? 東京綜合(写真専門学校)の研究科。僕は割と二年の時、君を褒めていたから。ねえ、あんなに褒めている先生もいなかったよね。

M   ずっと褒めてくれていましたよね。はい。

K   いい先生だよね。笑。それでどうなんですか。研究科行って。

M   研究科に行って、褒められなくなって、やめました。笑。

K   え、行くのやめたの?

M   そうです。笑。

K   ええ、やめたの、君!?

M   途中で。

K   ほー。中退か。

M   いや、一応卒業はしてるんですけど。やっぱり褒められて伸びるタイプなので。笑。

K   森下さんって、若い頃、車の免許取りに行って、途中でやめたんだったよね。笑。

M   そんなことは別にここで言わなくてもいいんじゃないですかね。笑。

K   そういう根性がないところが、また写真家としていいなあ。笑。

M   そうなんすよ。教官にいびられてね。逃げ出したんです、はい。笑。

K   若いからいいじゃないの。俺、31の時、免許取りに行ったからさあ、惨めなもんだったよ。笑。なんでこの俺がこんなオヤジに怒鳴られなくちゃいけないんだとかさあ。

そんなに研究科じゃ酷評だったんですか。

M   やっぱり、褒められないから、どんどん頑なになっていくというか。写真も凝り固まっていってしまって。

K   あの時の研究科の先生って誰? 谷口(雅)さん?

M   谷口さんとか、倉石(信乃)さんとか。

K   渡辺(兼人)先生とか?

M   渡辺先生……いました、いました。まあ、意地悪な面子が揃っていてね。笑。

K   いや、あれね。先生の側から言うと、なんか褒めると、後で馬鹿にされるから。

M   他の先生に?

K   そうそうそう。だから批判のし合いになるんだよね。だんだんと。批判する分には無難だから。でもあそこに一年間いると人間強くなるじゃないですか。

M   いやあ、僕はダメでしたね。笑。

K   ああ、そう? 笑。

M   強くなれなかったです。笑。

K   なんか、俺は動じない人間になってきたよ。だんだんと。

M   本当ですか。

K   うん。あの時の渡辺先生の頃に比べれば大したことないなあとかね。こういう写真、出したわけでしょう?

M   いや、もっともっと色気のない写真を出してました。

K   ああ。

M   フォトジェニックな要素を否定される学校だったんで。

K   ああ、それは否定するよね。

M   自分はフォトジェニックな要素を全面に出すタイプの作風だったので、全然ダメでしたね。受けないと言うか。

K   森下さんっていつも反時代的だよね。

M   そんなことないですよ。笑。

K   そうだと思うよ。だって、今だに額装一列にしてさ。この前、横田大輔さん達見たら、大変なことになっていたよ。笑。やっぱ21世紀は違うなあみたいな。だから今、ここ来ると、ホッとするもん。笑。なんか昭和ってよかったなーみたいなねえ。笑。そこまでローカルなものでもないけど。

結構やっぱり一貫しているわけじゃない? アンビバレントがあったりとか。なんかもう額装しかしないとか。普通さ、普通さあなんて気軽な言い方しちゃいけないんだけど、インクジェットとかで大きくしたりするじゃない? 一点とか。こういう会場だったら。会場構成考えて、メリハリってつけるから。これ、全然メリハリないもんね。すごいと思う。間隔、結構空いてるじゃない? そこに美しさを感じるかというと、そうでもないみたいなさあ。なんだろ、これ。

M   褒めてるんですか、けなしてるんですか。笑。

K   褒めてる。笑。超褒めてる。 ……すっごく無骨じゃない?

M   そうですかね。

K   そうですかね、って君、横田大輔さんを見に行ったほうがいいよ。これが21世紀だと思うからさあ。わんわんわんわんやってる、音出して。

M   いや、僕はなるべくシンプルにいきたいので。

K   なんか、普通飽きちゃうんだよね。お友達でも飽きちゃって辞める人っているでしょう? あと、傾向変えちゃう人。

M   そうですね。

K   だってカラーはやんないわけでしょう?

M   やんないですね。

K   なんでまた、この時代に?

M   全く飽きないから。

K   スマホ持ってるんだから、カラーぐらい撮ったらどお? 笑。

全く飽きない……

M   全く飽きないですね。

K   なんか例えば自分で回顧展とか考えたことある? これ、ずっと続くんだよ。近代美術館で。かっこいいよね。ずーっとさ。森下さん、20なん年とかさ。「21世紀になっても額装だー」みたいなさあ。笑。

俺、自分の回顧展、考えたことあるんだけど。最初から最後まで、死ぬまでごちゃごちゃしてんだろうなあって思って。すごい、いいなあって思ったんだけど。

これだってさ、学芸員、書きにくいじゃない? 「森下さんは変わった」とかさ。変わってないんだから。笑。「ここに森下さんの心の闇があった」とかさ。多分、なんかパートワンで終わるよ。

なんかねえ、本当に無骨だよねえ。

いや、アマチュアの展覧会に行くと、ま、確かに額装一列で。でももうちょっとバラエティがあるじゃない? 多分撮ってる人間は飽きてるんだろうね。バラエティを出すってことは。

M   でも写真にバラエティがあるから全然思わない。

K   それは、ほら、本人は。作家というのはみんなそう言うんだけどさ。「俺の写真はみんな違う」とかね。うん。俺もそう思うんだけど。

(でも)客観的に見るとね。

M   そうでもないんですか?

K   うん。同じだよ。笑。同じでいいじゃない。

M   同じかなあ。

K   うん。なんかモノクロらしさ? モノクロらしさって! 笑。

違うのも結構あるけど、統一されているっていうのもあるなあ。

M   写真の質が揃っているというのなら、そうだと思うんですけどね。

K   そこはやっぱどうしても作家性って出ると思うから。否定していても。

M   先ほど、評論家の話が出ましたけれども、これを本当に言葉にできるのかという、

K   ああ、試してんだ。評論家を。笑。

M   試しているわけではないんですけど、言葉にできるのかなあと思いながら自分でも作ってるというか。

K   うーん。評論家の人はそういうものは面倒くさいから評論しないよ。だって面倒くさいじゃない。「できるかな?」とか言ってさ。笑。完全に立場、上じゃない。まあそっちの方がいいよ。

M   立場は上だと思いますけど。

K   そりゃそうだよ。写真の方が上だよ。だって、写真なかったら書けないでしょう。

昔、福田和也さんっていう文芸評論家が「小説なくったって、評論書いてやる」って言ってて、それはそれですごいなと思ったけど。

そうね。多分これを評論しようと思ったら、心象風景とか、そっちに持って行くんじゃないかなあ。それ楽だから。だって、インタビューされたでしょ? この間。どっかの雑誌で(日本カメラ)。生い立ちとか聞かれなかった? 心の傷とかさ。

M   生い立ちかあ。ざっと聞かれましたけど、全然ないですよ。親にしっかり愛されて育ったもんで。

K   ああ、つまんないね。笑。なんかない?

M   笑。全然ないですよ。

K   名古屋生まれだっけ?

M   愛知です。

K   そこに原罪を感じるとかさ。ない? 「俺、名古屋に産まれちゃった」みたいなさ。笑。

そういうの、ないんだ。

M   ないです。全くないです。そういうのは。

K   じゃあ、我が儘に育っただけなんだ。

M   え、我が儘ですか? ぼく、我が儘じゃないですよ。笑。

K   いや、我が儘だよ。だって怒られたらすぐにプイッとやめちゃうんだから。笑。車の免許は取んないわ、研究科は行かないわ。それが我が儘って言うんですよ。耐え難きを耐えっていってねえ。笑。

……全然「心の傷」ないんだ。格好いいねえ。

M   ……ないですね。

K   そういうこと聞かれない? インタビュアーに。これ、インタビュアーは分かんなかったでしょ? なんかいきなり「『純粋な写真が撮りたい』と森下さんは言った」って書いてたけど。この人も文章まとめんの困っただろうなあみたいなさ。

M   でも僕が言ったんですよ。「純粋な写真を撮りたい」って。

K   そりゃそうでしょ。なぜ純粋な写真が撮りたいか、とかさ。

M   ああ。別に理由はいらないかなとは思うんですけど。

K   結局、心象写真と森下さんの写真が違うのは、そこでしょう。理由はないっていうかさ。いや、みんな結構「理由はない」って言うんだけど、がんがん理由はあったりするんだよね。

例えば、この写真ってさあ、小動物の死がなかったりするじゃない? 結構入れるんだよ。私写真って。

俺、1_WALLで審査員やってたけど、こう見て、昆虫死んでるともう閉じる。笑。「あ、また死んでる」みたいな。あと、おばあちゃんが必ず病院のベッドで注射している。そこで閉じる。笑。で、あれ、コメント書くんだけど、「お悔やみ申し上げます」と書いたりとか。笑。

それがないんだよね。動機がない写真。じゃあロボットみたいに撮ってるのかって言うと、それでもないよね。

M   そうですね。情熱はすごくありますね。

K   情熱があるけど、その情熱がどこから来るか動機がないという。ただ情熱があるだけなんでしょ?

M   はい。それに近いです。

K   その分、無意味な情熱でいいと思うんだよね。普通、情熱って目標があるから。

M   そうですね。目標はないなあ。

K   無駄な情熱ってやつだよね。

M   無駄ではないですね。

K   無駄ではない。笑。無駄ではない。

M   無駄ではない。ちゃんと写真が生まれてきますから。

K   そうだよねえ。でもよくわからないっていうね。

M   笑。

K   心の傷もない。

M   ないですね。笑。

K   だから心の傷があるって言ってみればいいんじゃない、今度。ちょっと試してみてさあ。嘘言うんだよ。

M   「虐待された」とかですか。

K   そりゃ、もうラッキーアイテムでしょう? 笑。なんか作ったら?

M   いや、嘘はつきたくないです。笑。

K   とはいうけどさあ、嘘とは言わないけど、小さいことを100くらいに持ち上げてさあ。なんか一回くらい親に殴られたことあるでしょう?

M   一回もないです。

K   ええ!? 一回もないの? よっぽど陰で悪いことしてたのか、親に見つかんないように。

M   ないです。え、あるのが普通なんですか? (会場)笑。え、そんなことないですよね。

K   普通、殴られるんじゃない?

M   金村さんは殴られてそうですけど。

K   俺は庭に火をつけて遊んでたら、すごい殴られた。笑。いや、火見ると気持ちいいじゃない? ああ、早く大人になって消防士になりたいな、なんて思っていたんだけど。

でも、なんかね。最近はインタビュー受けててもあまり言われないけど、僕が若い頃インタビュー受けてた時は、「どうして?」「どうして?」って聞かれたんだよね。「なぜ、こんな汚いところを撮るんですか?」とかね。「いや別に汚くないけど」って言うと「ええー!」と言われたりとか。なんか動機が必要なんだよね。だからインタビューしづらいよね。困ってなかった?

M   そうでもないですね。

K   本当?

M   はい。

K   なんか説教されたりしなかった?

M   いや、全然。

K   なんかたまに説教するインタビュアーいるよ。「お前はダメだ」とか言ってさ。

……まあ、写真の表層って言うのかな。あなた幾つだっけ?

M   39です。もうすぐ40です。

K   アラフォーってやつかあ。それぐらいの歳だと、思想的にポストモダンでしょ?

M   そうですね。別に嫌いじゃないですね。

K   嫌いじゃないと言うか、ぴったり合ってるでしょう?

M   ちょっと忘れたいと思っていますけどね。その辺は。

K   表層が全てだって言うね。あの頃はそれが流行ったから。そっか。僕なんか10代で完全にそれだから、「そうか。動機っていらないんだ」みたいな。特に写真はそうだよね。写真って最初入った時、「動機っていらない」と思ったから。自分見なくていいじゃない? 楽でいいなと思ったけど。

やっぱ「写真は表層だけでいい」ってとこになんか反発とかあるんですか?

M   反発はないんですけど…… 写真の表層だけでいい?

K   そうそう。こういう人間の心理とか作家の心の傷なんかどうでもいいじゃないかみたいな。

M   反発は別にないですけど…… それはあれですか? 金村さんがやってるようなスタイルですか。表層だけってよく言っていたじゃないですか。

K   うん。俺は表層だけでいいって思ってる。でもドロドロしてるんだけど。やっぱ人間の内部のドロドロしているものって隠せなかったりするよね。でもどうなんだろ。わかんない。自分の写真はなんか。ただ。まあ、表層しか写んないと思ってるから。それはそれでいいかなと思うし。

M   僕は、もうちょっと、写真が豊かさに繋がってほしいっていうか。

K   豊かさ?

M   はい。存在の豊かさとか。

K   存在の豊かさ?

M   自分が生きていることの豊かさとか。そういうものに繋がって欲しいという気持ちがすごい強いです。だからあまり表面だけで完結しているとは思っていないですね。

K   写真を撮ってる時の存在の豊か。まあ、そうだねえ。どうなんだろうねえ。

撮ってる時って無我夢中だし、展覧会やってる時って無我夢中じゃない? 写真集作ったら客観的になれるかなと思うけど、案外なれないじゃない?

M   そうですね。

K   森下さんが写真集に興味あるってのは驚きだったなあ。自分はあまりないんだよね。あんまりないって言うと、作ってくれた人にすごく悪いんだけど。なんかね。よくわかんない。写真集って。展示やってる方が好きだから。そのわりには一日しかいないんだけど。なんか作った瞬間が一番いいよね。あ、できたなあみたいな。

M   ずっと写真を作っていたいですよね。

K   ずっと?

M   ずっと自分の写真を作り続けたい。

K   でもさ、暗室作業って、特に君、体悪いみたいだから、60歳で現像するのはちょっと難しいんじゃないの。腰痛いんでしょ? 笑。

あの、水仕事って腰にくるよ。おばあちゃんみたいなこと言ってるけどさ。大変なんじゃない?

M   大変ですけど、その分喜びがありますから、やめられないかな。

K   まあ、そうだね。将来の心配してもしょうがないけどね。

やっぱり今でもベタとるの?

M   ベタはもう、フイルムが7000本ぐらいいった時、全部処分しました。

K   処分?

M   捨てました。

K   そうなの?

M   はい。ベタ焼きを。あまりも多すぎて。それからベタ焼きを取る習慣を無くしました。

K   ベタ焼きを取る習慣がない?

M   はい、やめました。

K   それ、君が死んだ時、困るよ、みんな。

うーん。よくいるんだよ。ほら亡くなった春日昌昭さん。5000本あったかな。一つもベタ焼き取ってなかったらしいんだよ。で、みんなで手分けして取ったっていう。

M   へえ。

K   鈴木先生もあれだけ俺たちにベタ焼きを取れ取れ言ってたんだけど、あんまり取ってなかったらしいんだよね。うーん。

7000本、捨てた? また、なんでベタ焼き捨てたの?

M   いや、単純に物が多すぎて。

K   違うものを捨てればいいじゃない? 違うものを。笑。

M   物を捨てるのが大好きなんです。笑。

K   あ、なんかあれ? ときめくときめかないで捨ててるわけ? 笑。知ってる? そういう本あるの。

M   知ってます。知ってます。

K   で、最後は旦那を捨てたって話になるんだけど。笑。

M   まあネガもそうです。ネガも、ときめかないネガは捨ててますね。

K   ああ、捨てるんだ。

M   捨てます。

K   じゃあ今、ときめきながら暮らしてんだ。笑。それ変わってんね。俺一応とっとくけど。でも35ミリと6×6の学生時代のは捨てちゃったけど。そんなもの持っていてもしょうがないから。持っててもしょうがないっていうか、死んだ後、そんなもの発掘されて『初期金村修』って出たらやばいじゃん。笑。最初から6×7一本みたいな、天才っていうイメージあるからさ。死んだ後のイメージ操作って重要だよね。笑。

それがあるわけ? 混沌の海に学芸員を、「これ、ベタ取るのか?7000本!」みたいな。笑。

M   スキャニングして管理していますけどね。

K   ああ、スキャンしてんだ? じゃベタとってんじゃん。

M   いや全部じゃなくって。

K   ああ、いいやつだけ。

でもモノクロは強いから、消えないみたいね。像が。カラーネガは今、像が消えてるみたいよ。だからカラー行かなくてよかったよね。

M   そうですね。

K   多分、カラーフイルムってなくなるんじゃないかな。モノクロでよかったよね。モノクロって無くなんないみたいよ。

M   そう願いますけど。

K   アメリカの国防省が重要機密は全部モノクロフイルムで撮っているんだって。パソコンで管理すると盗まれるから。だからモノクロ、フォーエバーみたいよ。フイルム、どんどん値が上がるかも知んないけどさあ。

M   本当かなあ。笑。

K   ホント、ホント。知り合いが言ってた。笑。知り合い、詳しかった。CIAの動向に! 笑。

ただ、高いけどね。

そろそろ質問でも取る? なんか、俺さあ、五十五分のうち四十分くらい喋っていた気がする。

M   すみませんねえ。喋らせちゃって。

K   君、なんか最後に喋れば? (会場に向かって)何か質問ある? ……ないじゃない。笑。逆指名する?

M   なんかありますか? ありませんか?

質問者1(以下Q1とする)   森下さんがさっき「美しい写真を撮りたい」とおっしゃっておられましたね。森下さんにとって、美しい写真とはどういうものですか?

M   美しい写真ですか……なんだろ……存在が輝いているというか。ただ写真になって美しいというだけじゃなくて、その根っこにあるものを感じさせてくれるような写真ですかね。

Q1   そういう感じはわかります。

M   ちょっと抽象的で、すみませんけど。

Q1   「存在」というと難しいので、もう少し言葉を足してもらえますか。

M   うーん、「存在」……

K   君の好きなハイデガーの話をすればいいんじゃない。現存在とか

M   いやいや、そっちには行きたくないんです。笑。

K   ああ、そうなの笑。

酔っ払うとよくハイデガーとか喋ってたじゃない。

M   いや、喋ってないです。笑。

……例えば、どういうのが「存在」なのかなあ……電車に乗っていて、本当に自分の感覚が研ぎ澄まされている時って、ビルとか電柱とか空とかが自分とは全く関係がないんですけど、繋がっているような気がするんですよ。こう、目にまっすぐ飛び込んでくるというか。自分は、その電柱とかビルとかをその「物」として知っているけど、そういうこと抜きにしてこうパッと目に飛び込んでくるような、感覚。そういうものを感じられるときに「存在」はあるなと思うんですけど。

K   ものが自分に突き刺さってくるって感じ? なんか中平(卓馬)さんがそんなこと言ってた。昔。

Q1   それはわかりますけど、そうなってくると、ぼかした写真がありますよね。アウトフォーカスの。それとどういう関係がありますか? アウトフォーカスだと電柱とかがはっきりとは見えないじゃないですか。

M   必ずしもピントが合っているから、ものが存在感を感じるというわけではなくて、これはもう、写真になった時点でもう、どう写っても関係ないんですよね。ビルをきっちり写したから「存在」がガッと飛び込んでくるわけじゃなくて、ちゃんと写真として成立しているから、写真の表面から新しい「存在」感が感じられるような作品、そういうものを作りたいと思っているんですけど。

Q1   それは現実の電柱なんかを見た時、触発されるけども、それは写真を作っているときに生まれて来て表現したものですよね。ぼかしたから存在が出て来たとすればね。写真を作っている過程で、存在感が表現されてきたと。すでにそこに在ったというよりもね。そういうことですね。

M   そうですね。

Q1   ありがとう。

K   他にありますか。この際だから、森下さんに「存在とは何か」についてレクチャー受けるのもいいと思うんですけどね。

M   あんまり突っ込まないでください。笑。

質問者2(Q2) まあ美しい写真にしていくということだと思うんですけど、写真を撮るときに、インスピレーションでもいいですし、ここを撮ろうと思う瞬間って、どんなのがきっかけだったりしますか。

M   うーん、そこは割と道具立てというか、やっぱりたくさん撮ってきているので、ここをこうしたら写真になるという経験値があるわけですよね。だから絵が見えるっていうか、こういう写真をはっきり作ろうと思って作っているのが7割くらい。あと3割くらいは、写真にしたらどうなるかなとわからない時。わからない時も積極的に撮ってますね。

Q2   最初にヴィジョンみたいなのがあって、それが現れたら迷わず撮るみたいな?

M   そうですね。写真をなんかきっちり作ろうという気持ちが、さっきも言いましたが、強いので。シンプルにフォトジェニックなものにぐっと正面から向かってしまうことの方が多いですね。

K   森下さんは若い頃からフイルムいっぱい撮ってたもんねえ。年間500本だっけ? 学生時代は。

M   そうですね……500以上は撮ってたと思います。

K   なんか、あの頃、普通だったよね。

M   そうですね。

K   500って普通だったよね。

M   そうですね。多い人は1000とか撮ってましたよね。

K   うん。いたいた。1000いた。俺が1000近く撮っていたから。

それくらい撮ってくると、「何かが撮りたい」じゃないんだよね。なんかひたすらシャッターを押したいとか。だからベタとか見ると、変な写真いっぱいあったりするんだけど。

だからやっぱり「撮りたい」ってのと「撮れちゃった」ってのが両方ある写真なのかな。「撮りたい」だけの写真ってあんまり面白くないし、「撮れちゃった」だけの写真もあんまり面白くないんだよね。そういうのもいいっちゃいいんだけども。

M   被写体と自分と作品がまっすぐすっと一本線で繋がったような作品が良い作品かなあと思いますけど。

K   君は昔から抽象的だけど、相変わらず抽象的だなあ。言ってることも。具体性がまるでないところもいいよねえ。全く地に足がついてないってのも。笑。

M   そうでもないと思いますけど。笑。

K   いや、まあ、ねえ。写真はいいんじゃないかな。地に足がついていようがいまいが。どちらかというと写真家は地に足がついていないから。みんな、なんかちょっと夢心地で生きているじゃない?

でも、あなたの言う、こう「物」がパーンて突き刺さってくる瞬間って、それは中平卓馬さんも病気で倒れる直前書かれていたことだけど、そういうのって、なんかあるよね。なんか意味もなくある。だから疲れるよね。街を歩いてると。

M   そうですね。感覚が鋭敏になっている時は、ほんと辛いですよね。

K   それには山なんか登るといいんじゃない? 撮んなくていいからさあ。でも君、山撮るか。ああ、こりゃダメだな。笑。休むところないな。囲まれちゃっているからね。撮りたいものに。

M   では。ありがとうございました。

K   ありがとうございました。

 

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