Daisuke Morishita
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2月17日 森下大輔x目黒大路 トーク

司会 森下さんから簡単な自己紹介をお願いします。

森 写真家の森下大輔です。ずっとフィルムで制作を続けています。20年くらい、モノクロの風景を撮り続けています。特に解りやすいテーマを持って制作しているという訳ではなくて、ずばり言ってしまうと純粋な写真を作りたいというのが私のテーマです。

所謂、みなさんが思われる写真家というのは綺麗な花を撮ったり、富士山の風景を撮ったり、報道写真を撮ったりして何かしらを伝えるっていうのが写真家と思われると思うのですけど、僕が目指しているのはそういうのとちょっと違っていて、純粋な写真を撮った時に物事の核心が掴めるのではないかという事を目指して、ずっと制作を続けています。

目 目黒です。私は舞踏という、踊りを20年ちょっとやっています。舞踏というのは1959年に日本で始まったとされている踊りで、既存のダンスを否定して成り立ったものです。どちらかというと、伸びやかというよりは、逆に縮こまって行ったり、上を目指すのではなくて下を目指すとか、生ではなくて死とか、非常にひねくれた考えで成り立ってきた踊りです。それを継いでやっているという感じです。見栄えは色々と変わってきて、白塗りなどいろいろしているのですが、それらは形骸化している部分もあるので、そういうのはなくとも良いかと思って、何も塗らずにやっております。

司 目黒さんは、なぜ舞踏という表現になっていったのでしょうか?

目 舞踏と思って舞踏に接した訳ではなく、最初は白塗りのインパクト、全身白く塗りパンツ一丁でほぼ裸、頭を剃ったりした、そんな写真をみて、なんだ、これ気持ち悪いなと思って、そこから惹かれてきた。

子供の頃から、気持ち悪いものに惹かれてきて。写楽の絵とかも気持ち悪いじゃないですか。役者絵とか。なんでこんな気持ち悪い絵を書くのだろうなと思って、惹かれるんですよね。もっていかれるんですよ。所謂、いいとかではなく、気持ち悪いもの、そういうアンチテーゼ的なものにどうしても惹かれるものがある。

それで東京にアスベスト館というところがありまして、そこは舞踏の創始者の土方巽という人がやっていたところで、もうその人は亡くなっていて、今はその人の奥さんがやられていて、そこにワークショップがあり、それが面白かった。そこは踊りやスタッフワーク、照明や音響とか、現代美術や写真、細江英公さんもそこでやられていた。SMのワークショップもあり、縛り師の方がいたりいろいろ面白かったんですよ。それに参加して、体を動かすのも好きだったので、面白い世界だなと思ったので、それから舞踏をやり始めた。

司 それはおいくつくらいでしたか?

二十歳くらいですね。東京に出てからですね。普通のダンスと違って、舞踏を小さい頃から始めていたというのまずいないので、大体みんな二十歳前後くらいから始めるので。

司 小さい頃からできるところがあっても面白いですね?

そうなんですよ、まず白塗りさせるんですよ。

会場 笑

司 今の若い方は、動画とかで踊ったり見たりとかしていると思うのですが、全くそういう素地がないまま東京とかに行って?

目 踊りって恥ずかしいじゃないですか。だから舞踏も踊りと思ってやっていないんですよ。なんか変なものと思ってやってて、やり始めたら踊りだって言われたので、まぁ踊りだったんです。

司 今のスタイルになったのは始めてからどのくらいですか?

目 だんだん自分の考えなり、継いでいるものだったり、そういうものをアレンジというか、現代というのも含めて。始めたのはやっぱり戦争、戦後を経験している人たちで、そういう体なので、私はそういう体ではないので、じゃぁ私ができる、現代における舞踏というのはなにかというのを模索している最中、というのがクリアになってきてからですね、こういう風にだんだんなってきたのは。

それまでは真似事ですね。今も真似ている部分は多くありますけど。

司 その真似ている部分は土方巽さん?

目 それもありますし、いろいろですね。いろんな人の。それは舞踏の場合は、非常に思考も使うので、体のあり方を言語化して考えるんですよ。それと体を一致させるというのですか、思想をこうですよという必要はなく、体で見せればいいんですけど、自分なりに整理したり、誰かと一緒に作品を作る時は言語化して伝えるっていう事が重要なので、そのためにも言語化と体の一致をやろうとしています。

司 公演の中で気になった事で、言葉のセリフが途中に入りましたが、舞踏の方は伝える上で身体的な表現にこだわっていると思うのだけれど、言葉で説明するのはいいのですか?

目 あれは何かを説明した訳ではなくて、別に使いたかったら使っていいんです。以前3人で作った作品では、一人がずっと喋っていました。全部即興で。そういうのでもありですし。舞踏家ですけど、あまり捉われ過ぎると良くないので、いろいろ迂回しながらやっています。

司 森下さん、はじめたきっかけを教えていただいていいですか?

森 始めたきっかけは特にないですね。所謂物語になりそうな劇的なきっかけはないんですよね。別にトラウマとかもないし。さらっと始めてたというのが本当に正直なところで。  でも、始めてみると写真ってカメラ使うじゃないですか、だから撮っているうちにどんどん自分が消えていく感覚っていうんですかね、絵を描くなら描いたで自分の手の痕跡が残るし、絶えず何かしら行為が残っていくんですけど、写真はその辺が無責任というか、撮った後はカメラにお任せ、自分はあまり関係ないというよう表現方法だったので、その点僕は清々しい気持ちになるというか、撮っても撮っても自分なんて写らないし、むしろ自分が消えていく、そういう感覚が非常に気持ちよくて、それでどんどんのめり込んでいって、ていう経緯がありました。

司 撮り始めの時は、こう撮りたいとか、モデルとかはなかったですか?

森 当時僕が写真を始めた時は、荒木経惟とか森山大道とか、その辺りが元気が良くて、こんなことしてればいいのかなと適当に真似はしていました。ただ、僕が写真の学校に入ろうと決めて、それで入ったんですけど、その学校が非常に軍隊みたいな学校で、とにかく作家になりたかったら撮りまくれと。で、渋谷のスクランブル交差点ってありますよね。人がわーっていっぱいいるところ。あそこの群衆の中に突っ込んでいって、とにかくファインダーを人間の顔で埋めてこいみたいな感じなんですよ。お前達は何も表現してはいけない、とにかくファインダーを全部人間で埋めてこいと。それを一学年200人くらいいるんですけど、みんなやるんですよ。それで最初の合評になると、一番大きい教室に人間の顔がざーーーっとこう並んでる訳です。

写真を表現する時に、お前なんて必要ないんだ。まず個人を捨ててこい。何も表現するなってところが入り口だったので、僕にぴったりでしたね。そういう学校に入った事もすごく影響してます。一回自分を捨ててからが勝負だ、その上で表現するなら、表現してこいみたいな教えだったので。そんな経緯があります。

司 先日、二十歳の頃、自意識が高まってうまく歩けなったという話があったと思うのですが、その時は写真は撮られてましたか?

森 そうですね、その頃はもう作家として活動している時期ですね。

司 その自意識があるってことは、こう撮りたいとか、伝えたいとかっていうのはなかったのですか?

森 多分根っこにすごい強い自意識があるんでしょうね。押さえつけられてる分、表現したいって気持ちはすごくあったし、だから自意識は強かったんじゃないですかね。あ、昨日(1回目のトーク)でそういう話をしたんです。僕結構自意識が強い人間だったんで、二十代中くらいの時に、歩き方がわからなくなったっていう話を昨日、目黒さんとしていて。自分を見ているという感覚があまりに強くなってくると、どういう風に歩いたらいいか解らなくなってくるという経験をして、それを目黒さんの公演をみて思い出したっていう。

司 やっていく中で、それは削ぎ落とされていったんですか?

森 その辺は写真に助けられたっていうところはありますね。さっきもいいましたけど、自分が関係なくなるっていう、いつも原点に戻してくれるっていうか、ゼロ地点に帰れる。とにかく写真さえ撮っていればいいというのは、救いでしたね。

司 目黒さんも自意識があったと思うのですが、やられていく間に削られましたか?

目 ありますよ、もちろん。それだから続けているんだと思う。それがないと逆に続けてこれなかったと思う。けれど舞台上ではそれを見せてしまうと、非常に気持ち悪いものになるっていう。森下さんがおっしゃってた、からっぽにする、その方がいいんですけど、なかなか難しいですよ、それは。でもそういう体はやっぱりいいんですよね。何がいいのか解らないんですけど、まぁやっぱり明らかにいいんですよ。そういう体で、舞台上にはいたいんです。

司 お二人のお話を聞いていて、先月ポートの展示での陶芸家の方の話を思い出しました。その中でも作りたいものは窯に任せるしかない、自然に任せるしかないというのが印象に残っていて。それでそのあと森下さんとお話した時に、カメラをもった素人がぱっと撮った時に、自分よりいいのが撮れる可能性もあるというのがいいなと思いまして。

森 そうですね、そこが写真っていうメディアの潔さというか、結構好きなところなんですね。誰でもできる、だれでもせーので始められるっていうのが非常に好きなところです。

目 それは同じですね。いまここでどうぞって誰かに踊ってもらって、その人の踊りがすごくいいっていうのはありますよ。それがいい踊りで負けてるって事はありますよ。

森 全然訓練してない人がいきなり踊っても?

目 それはありますね。街中で歩いていてもこの人はいいなってのはありますね。

森 歩き方で?

目 歩いてたり、なんか立ち止まって動かない仕草とかでも。この人はいいなーって。

会場笑

森 へー、その視点はなかったなぁ

目 やっぱり踊りというよりは体の方なので、そういう体を見た時は、すごいですね。多分とれてるんだと思いますよ。その、なにかが。いきなりここで踊ってくださいっていったら、多分考えれないじゃないですか。だから自我とか作為とかがないところで立った時は、やっぱりいいんですよね。

森 あーそういう意味で。

目 そうですね、歩いてる人でも、やっぱりいますよ。時にはその後をつけてじっとこう観察して。

司 津山にはいました?

目 津山はここくらいしかみてないから、まだ。都会ですね。都会はやっぱり、あんな人大勢いても個人で歩いているので、やっぱりその時に何かに没頭してたりすると、いろんなものが抜けてて、いい人いますよね。

森 それは自分でこういう風に歩こうって意識がないように見える人っていう事ですか?

目 そうですね、そういう人は面白いですよ。

森 自然に歩けてるっていうか?

目 んー、なんなんですかね。自然なのかなんなのか。明らかに変な歩き方してる人いますよ。けど、それはないんですよ。何かがないからよくて。何かをつけて歩いてたら、それはいらないなって。

森 ここをこう見られたい意図がないって事ですか?

目 そうじゃないですかね。

司 お二人の言葉を借りると、作為をなくすと言う表現をされていますが、普段歩いている人の中でも作為がないって人がいるってことですかね?

目 私はそう感じます。

司 あー会ってみたいですね。

森 僕みたいな、歩き方がわからなくなっている人は全然だめな訳ですね。

目 いやいやいや、いいですいいです。

森 ぎくしゃくぎくしゃくしていて。

目 いいです。

森 いいんですか?

目 それもいいです、完全に不一致ですよね?

森 不一致です。

目 それはいいですね。

森 上半身と下半身がバラバラになってる感じですけど、いいんですか?

目 二つのベクトルが同時に存在してますよね。

森 じゃあすごい高等技術なのかな。

目 すばらしいです。

森 そうか、慰められたのかな。

会場 笑

目 こういうことを言うと非常識だとか言われるんですけど。でもまぁ素敵ですよ、やっぱり私としては。

森 ありがとうございます。うれしいなぁ。

司 ちなみに今日来ている方でそう言う方はいらっしゃいますか?

目 いやそれは、ちょっと失礼じゃないですか

会場 笑

 

質疑応答

 

質1 私あの、演じられたときに途中呟かれたのが、集中して見ていたものだから、言われたことが全然頭に入らなくてさっぱりわからなかったので、演じていただかなくていいのでもう一回言って頂けませんか?

目 いや、別に意味を伝えようとしてやっているわけではないです。

質1 耳に入らなかったものですから、見てる方が一生懸命になって、それで突然声を出されて、私は何も頭に入ってこなくて悔しかったなと思ったので、もう一度聞きたいなと思いましたので、嫌だったら良いです。

目 ひえっていうのがあるらしいんですよ。ひえっていう美的価値観が。それが連歌っていう和歌とか短歌とかの中であって、連歌っていうのは誰かが言ったのを次いで別の人が言っていってってこうやって。その中でひえっていうのが、そういう美意識で、わびさびみたいな感じ。日本的美意識らしいんですけど、艶、艶っぽいの艶ですね。艶。艶がすごくこう抑えられた。

質1 しぶいのね。

目 しぶいよりももっと前、時代的にですよ。時代的にもっと前です。そういう薄いところにあるような、艶みたいな。微かな艶みたいな。ひえと言って、それを一番美しいと。

質1 はい、わかりました。よかった。

質2 あのすいません、踊りの最後で、そのひえを手に入れたように僕には見えたんです。重力に縛られ、体に縛られた男が、なんとか進化を果たそうと、寝返りを打つしかなかったんですが。その後、四つ足歩行になって。どんどん自分を縛っているものから、はじめ歩いた方と逆方向に退化の道を辿る。

進化しようとして失敗して、退化の道を辿っていく。その最後に、重力から逃れようとして、進化しようとするんですが最終的には重力に助けられ、自分の体の連鎖反応に助けられ、で立ち上がる。ところまで行かれたと思います。本当に応援してたんです。立ってくれ立ってくれと。

それって連歌の中で、ひえ、つまりそのある人が歌ったことに次いで、どんどん美しさが連鎖反応を起こしていく。体のひざや関節が、いろんな関節が連鎖反応を起こして、立ち上がるところまで行った男の物語に見えたんです。でも最後納得されていなかったから。はーって、落ち込まれてた。どんな世界を見たんですか?

目 いえいえ、そこまで考えてないですね、私(笑)それはまぁ、見ている方の想像力にお任せしますけど。いやあの、はーっていいました?私。

司 言ってました。言ってました。

目 はーって言いました?

質2 悩んでいるような。せっかくそのつやを、自分の体で達成したかのように見えたのに。

目 覚えてないですね。多分、あのなんではーっていったのか理由はわかるんですけど。それ言ってしまうと非常にあれなんですけど・・・。

きっかけが遅かったんですよ。照明が消えるきっかけが遅かったんですよ。

会場 笑

目 もういい加減にしてくれないかなと。すいません。いうとね。

質2 わかりました。

森 話に出たからついでに、お伺いしたいんですけど。重力っていうのは目黒さんの公演を見ていてずっとひっかかるっていうか。テーマの一つだと思うんですけど。特に一人で踊られる時は、何人か踊り手さんがいるわけではなくて、一人しかいないから重力がまぁ、相手というか、重力が伴奏者みたいな面もあると思うんですけど。振り付けを考える時に重力をどういう風に自分の体にまとわりつかせるか、ということを考えたりなされますか?

目 チラシにも書いてますけど、両義的なものっていうのを、その生と死だったり、そういうので結構構成するんですね。その中でどういう風になるかっていう。立つと座るっていう、まぁ立つが生だとしたら座るというか寝るが死だとして。その時に、非常に単純なんですよ私やっていること。それだけしかやってないんですね。他にも多分、そういう両義的なものでできると思うんですけど。それで昨日お話ししましたけど、ここで存在していたい、生きていたいって時に、何か目的を持っていた方が存在するというか、できるんですね。そういう時に、一番シンプルな立つ座る、ですね。そういう時に重力を使うってだけで。重力と会話とか、重力がテーマというよりはその自分のやっているテーマに、んー、なんていえばいいですかね。重力をテーマにしているわけではないですね。

司 縛りとか?

目 縛り、利用はしやすいですけどね。あるものですし、常に引かれているので。それに反発すれば、何かが見えてくるので。それは使いますね。で、立てないっていうのも一つ、できないっていう方がテーマですかね。立てない、呼吸できない。そういうもので両義性の中でせめぎ合って緊張感をだして。そこから生に触るっていうか。生命に触るみたいな感じですね。答えになってないですね・・ただ重力自体がテーマということはないですね。でもやりやすいっていうのは確かにあります。

質3 お二人の共通点というのはなんなのでしょうか?先ほどの無ということなのか?後、何かお友達だとか、何がこのコラボレーションを生み出したのでしょうか。

目 それは主催者側に。

司 当館スタッフがお二人を呼んで。たまたま偶然です。でも昨日のお話でもありましたが、表現されようとしてる姿勢とか、よく似ていると思うんです。

質3 昨日初めてお会いになられたんですか?

目 そうです。存在っておっしゃられていたじゃないですか。私はここに存在していたいっていう、踊ることではなくて。ということは昨日お話しして、というところはすごく似ているなと思いました。

質4 最初はずっと回ってたと思うんですけど、その時にいろんな方向を見ている気がして、それがすごく注意力散漫している人に見えたんです。それが何を表していたのかなと思って聞いてみたいです。

目 えっと、写真みてました。

会場 笑

目 写真見て、どうすれば、コンタクトとれるかなみたいなずっとやってみたんです。こうかなぁと、昨日からやってみてたんです。そうです。なんで、昨日関係ないっていってましたが。あの関係ありました。最初のところは写真とコンタクトをとってやってます。

司 写真とコンタクト。それって公演の内容にも影響ありました?写真見て、仮に写真なかったとしたら、変化ありましたか?

目 ありますよ。それは、具体的にあるものなので。それはみたら、なにかあるわけですし。緊張感の中で見るのと、普通に見るのと、違いますし。

質5 お願いなんですけど、足の指を見せてもらえますか?公演中、足が足に見えなくて、手が手に見えなくて・・・普通の足ですね・・・でもなんか動物の足みたいな・・・ありがとうございます。

質6 半分感想ですけど。今回、背景がこれ(DMに使用された、左右に木が配置された作品)なのかと。なんかどっかで見たことがある感じだなぁと。今さっき感じたのですが。津山市内に宮川という川が流れているのですが、源流を辿ると熊山という山になるんですけど。そこにこういう感じで石の柱が二本立っているんです。その柱は今でいう鳥居の原型らしく、横に渡すのはなかったらしく。それで神の世界とこっちの世界と、そういう場所で踊っているのだろうかと、勝手に思っていたんですけど。そういう意図はあるんでしょうか?

森 いい解釈ですね。

目 そういう神事的な感じですか・・あまりないですね。

森 でもその場所には非常に興味があるので、教えてください。あとで。

質6 津山の人もあまり行ったことないと思います。

目 神社自体はあるんですか?

質6 前はそこへあったらしんですけども。今は中山神社という名前です。それは。

目 その鳥居のところにあるんですか?

質6 もっと下流です。行きやすいところに。

目 昔はそこにあった?

質6 らしいです。最初は。川の源流の。そこは修行場所だったらしいんですけど。

目 面白そうですね。ありがとうございます。

質7 ありがとうございました。感想というか思ったことなんですけど。はじめここを回られていた時に、見ようと思ったんですけど。つい、目を瞑ってしまったんです。歩いている後のその、私は前の席だったので、すごい余韻を感じてしまって。人が歩いているんだけど、そこについてくる、音だったり風だったり。余韻がすごくおもしろくて。目は瞑ってはいけないと思いながら、目を瞑ったりとかしてたんですけど。それがだんだん見ているうち、感じているうちに、動きとか余韻が合わさっていくというか一つになっていくという事を感じて。見る人と、ここでなされている事の自由さというか、なんでもいいんだなと、見たままでいいんだなと感じて。すごく面白かったです。後、入る時、例えばこう歩いていますよね。始まりってあるじゃないですか。自分がこう始まっていく、終わっていく。というのはどんな感じなんだろうと思って。なにかありますか?スイッチじゃないですけど。始まりと終わりみたいなもの。

目 最近はあまりないかもしれないですね。あまり気負うと、ガラッと変わってやるとあまり良くないので。なるべくそのまま入っていってというようにはしています。

質7 最近というのは、そういうのがあった時もあったんですか?

目 ありましたね。なんかやってやろうっていうのを。そういう時はぐっとこう、今からっていうのをやってましたけど。今はあんまりやらない。

質7 余韻というか、始まってからの背後からついてくる何かが一つになってくるのがすごく面白かったです。

お写真のことをいっていいですか?さっき見させてもらっていて、自分が普段、散歩じゃないですけど、歩いている時って、時間があるようでないような時間に自分がいる時があるんだけど。それがそのままそこの写真の中にあるような気がして。自分が普段見ているような景色だと思うんだけど。

それが止まってたり動いてたり、中でいろんなものが合わさっているというのが、すごくいいなと思いました。なかなか自分がそう思う世界があってもそれを写真に収めるってことは難しいというか、撮ろうとすると止まってしまうというか、というのがあるので。それが撮れるっていうのはすごいなと思って。何かコツというか。なにか、そのままですか?

森 コツですか。じゃぁさっき言った学校に入ったらいんじゃないですか?

会場笑

自分が消えるまで撮りまくるっていう。

でもコツっていうわけじゃないんですけど。わかりやすい要素を抜いていくっていうのは有効だと思いますね。

私お花を撮りたいっていってお花を撮るっていう行為にしてしまうと、お花を交換するだけ。お花を消費するのと同じじゃないですか。

そういう行為に慣れ親しんじゃうと、写真の面白さって閉じていってしまうと思うんですね。そういうのを外してあげた時に、自分の考えとは別のものが写ってくるというのが写真の可能性のひとつだと思うので。

質7 そうですね。撮ろうと思った瞬間に止まってしまうというか。生きていたものが。止まってしまうっていうのかな。写真って難しいっていうか。面白いけど。そう思っていたんです。ありがとうございました。

一同 ありがとうございました。

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