飯沢耕太郎氏の新著「現代日本写真アーカイブ」に2011年の展示「名前のかたち」の展評が採録されています。
当時の作品が持っていたゴツゴツした手触りが、だんだんしなやかで輻輳的なものに変わってきているように思うこの頃。
森下大輔は1977年生まれ。2003年に東京綜合写真専門学校を卒業し、2005年からニコンサロン、コニカミノルタプラザなどでコンスタントに作品を発表してきた。だが初期の頃の、画面にパターン化された明快なフォルムの被写体を配置していく作品と比べると、今回の「名前のかたち」シリーズの印象は相当に変わってきている。
以前はブロイラー・スペースという名前で活動していたGallery RAVENの1階のスペースに11点、2階に12点展示された写真群は、白茶けたセピアがかった色調でプリントされており、その多くはピンぼけだったり、あまりにも断片的だったりして、何が写っているのか、何を写したいのかも判然としない。「名前のかたち」というタイトルにもかかわらず、それらは「名づけられたもの」を「名づけられないもの」あるいは「名づけようがないもの」へと転換し、再配置しようとする試みにも思える。
いくつかの写真には、彼自身のものらしい手の一部が写り込んでいる。だが、それがどこを、どのように指し示しているのかも曖昧模糊としている。それでも、逆に以前のきちんと整えられた画面構成にはなかった、写真によって世界を再構築しようという、止むに止まれぬ衝動が、より生々しく感じられるようになってきているのもたしかだ。今のところ、まだ中間報告的な段階に思えるが、この方向をさらに遠くまで推し進めていってもらいたいものだ。2012/11/04 飯沢耕太郎