森下氏の写真は、現象学的な仕掛けに満ちている。 そこには、 常に”異質な何か”が写り込んでいて、それは、手の傷かもしれないし、モヤであったり、影であったり、光であったり、現像ジミ?であったりするかもしれないが、その異質さは、まず鑑賞者の目を惹く。その違和感の塊を 見つめ続けていくうちに、それは、意味の重みを増し、写真の中で、ブラックホールのように、鑑賞者の視点と他の被写体を引き込む中心へと変わっていく。その異質な中心点は、鑑賞者の住む既成の世界も飲み込み、写真に写り込んだ全てのものを飲み込む。 そして、ある瞬間、突然に、その異質な塊は、周囲の存在を照らし返す”光源”としての「真の意味」を開-示する。それは世界を照らしかえす”光”となり、その光に照らされた被写体は、それまでの意味や価値を、転倒させ、まったく違った存在へと変貌する。
まとめると、森下氏の写真には、既存の世界と異質な何かが常に写り込んでいて、その異質な何かは、その異質さ故に鑑賞者の目を引き、それを中心にして、既存の世界は、別の世界へ開かれる。異質な塊は、意味の裂け目として機能し、その裂け目が放つ光は、既存の世界を変容させる力に満ちている。森下氏は、それをある時は、”空白”、あるいは、“豊潤な空白”と呼び、またある時は、”存在を、存在足らしめる光” と呼んだ。現象学では、それを「確信成立条件」と呼び、その確信成立条件を開示してみせることを”現象学的還元”と呼ぶ。つまり、森下氏の写真には、この世界の意味や価値を転倒させる異質な空白が写り込んでいて、それに目を引き込まれた鑑賞者は、自己の視点自体の変更に迫られ、それまで見ていた世界が、突然別の価値を持って、浮かび上がる体験をするのではないか。例えば、鑑賞者にとって、写真に写った”雲”に目を引かれたとする。空一面を覆うその雲に、鑑賞の目は釘付けとなり、 そして、見つめ続けるうちに、突然その雲が、どっしりとした大地のように見えてくる。そして、雲は雲でないもの(大地のようなどっしりとした存在)へと変え、目の前に、突如開かれた、その間隙は、写真に写り込んだそれ以外の全ての存在・意味・価値を転倒させる、”裂け目”へと変貌する。
シャガールの絵のなかで、描かれた物がその重みを無くし、浮遊し、宙吊りのまま、価値判断を保留させるのにたいして、森下氏の写真では、新たな存在・意味・価値(影:shadows)を提示する異質な光源が、その強度で我々の視点を導き、別の世界を開示してみせる。一瞬にして、価値が変わる、ギョッとする瞬間を、ぜひ一度体験してほしい。