助手席でハッセルを手にしていたにもかかわらず呆っとしていて、左前を過ぎた小学生に気がつくのが遅れた。図工で作ったアルミホイル製のお面が弾く白い光が目に飛び込み、紫色の残像がそのまま作品のイメージとして残る。後悔というにはあまりに爽快な後味。これがひとつ。
ふたつめはつい一週間まえ。ひとしきり撮り終えた川面の反照を消化不足気味に立ち去ろうとしたそのとき、輝く川面を背景に、雀の群れが目前で飛びたち一メートル先で翻る、その瞬間。あな、と振り返り雀が憩う屋根先を恨めしげに見やるけれど、撮り逃したイメージは決して帰らない。
以後、撮れなかった、撮りたかった、という感触は単純な悔恨ともつかない複雑な色合いで、胸の中を浮いたり沈んだりする。そんな風景が増えれば増えるほど、素敵な景色を呼び込むことができるようになるのだろうと、負け惜しみにもならない吠えかたをする。