正し

二十代から三十代の前半まで、写真における正しさが正義だと思ってた。

だってそれは私にとって正しいから。作りつづければいい。簡単だ。

作品はずっと作っている。

でもある時に自分自身の生活がいわゆる正しさから外れていると言われて、

そういうことにまったく関心がないことに気がついた。

知らずに誰かを傷つけた、心ふるえる喜び、とっさの共感に肌が粟立った、この肉を食いちぎりたい、死ぬほど恥ずかしいこと、自分が消える快感。

それらはすべて、こうでなければならないという考えかたとは違うしかたで、私から発動している。そこには正しさなんて微塵もない。

顔がからだをおいてゆく。

 

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