これまでネガを整理しようと考えたことがなかった。大量のワークプリントやコンタクトプリントは、それまでの執着を思えば意外なほどあっさり、燃えるゴミとして部屋から放り出されたのに。
紙焼きでも出力でも、とにかくネガさえあれば作品を産み出せる。これさえあれば、また一からはじめられる、という安心感は、部屋の一角を占めるその質量にも原因がある。これだけ撮ったのだから。畳がへこむくらい重い。
光が濁って撮れない季節、8000本、80000カットになんなんとするネガの山をじっとながめていたら、この大量の画像情報は、もっと研ぎすまされ、磨き上げられるべきだと、すんなり腑に落ちる。いろんな理由を考えたが、とにかく暑いから、ものを捨てたくなるというのが本当かもしれない。
「不要な写真」への迷いは頭の片隅に残るのに、ネガシートをかざす手と目はあくまで実務的で、「使える」「面白い」「分からない」「いらない」と鮮やかな手並みで右と左に捌いてゆく。いま、およそ1500本まで取捨選択をすすめたところ。予想以上に捗るので、十数年前、撮影中毒よろしく必死に方々を歩き回って来るべき風景を探し求めていた頃の熱意を思うと、すこし後ろめたい。
あのころは、写真を撮るという行為が目的になっていた。とにかく撮るべきテーマがないから、やみくもに移動を繰り返しては行き当たりばったりに撮影し、現像、プリントしていた。