41になった。もう誕生日だからどうのというような感慨が起こる年じゃないが、41というのはいい数字だと思う。42になるまでにもう少しクリアな景色を見れるようになっていたいと思う。
午前中で用事を片付けて阿部明子の展示を見るべく仙台へ。仙台を訪れるのは二度目。十数年ぶりだろうか。もうよくわからない。
今でもそれがわかるのかというとあまり自信がないが、求めているものの具体的なありかが杳として知れない頃は、自分の知らない景色を求めてひたすら移動するというのが作品を生み出す上で至上の手段だった。理由もなく苛立ちながら。苛立ちの理由はどうあれ、その頃に知った夜行バスを乗りまわし「これって革命?」などと感じたものだった。宿代抜きで全国各地に撮りに行けると。結果ぎっくり腰で死に体を晒し写真なんて碌に取れなかったが。
仙台ではダムを二箇所ほど訪れた。特に紅葉を愛でる習慣はないが秋の澄んだ光に晒された色とりどりの木々に埋まる山肌を目前にすると「対象と私」という認識の感覚が霧散し、存在と意識が同化する、そんなこの季節ならではの愉悦にしばし浸る。美しければなんでもいい。写真もいくらか撮った。何を撮るか、よりも、いかに撮らないか、に意識が向いてきていることに気がつき嬉しくなる。
結婚指輪など見繕ってほくほくした気持ちでSARPについたらトークの時間を勘違いして終了間際。大日方さんに挨拶。宿に帰って妻と喧嘩。翌朝仲直りして陸前。津波のあとを経巡る。セシウムを食っているであろう牡蠣をたらふく食って大高森に登る。入り組んだ線が遠くに美しい。夕方レンタカーを凹ませ鳴子の部室みたいな宿に投宿。お湯は最高だった。
牛タン食ってはやぶさでまどろめばすぐ東京。仙台は意外と近かった。いつかSARPで展示したい。