これまで、同時代の写真家がその都度死んできたが、特に思うことはなかった。彼らの人生にさして興味はないし、基本的に作品が残れば十分だと考えている。
だから、今度のボルツの死に打ちひしがれる自分の心情に驚いている。
生き続けて、写真家として制作を続けていればいつか、彼に会えると信じていた。
そして「あなたの作品が私の方向性を決めてしまいました」と言うのだ。
パークシティで立ち上がった黒い煙が狼煙。
写真は世界そのものでもありうる。
私にとってのあなたの作品は、存在の豊かさを信じ、それを証明するという人間の意志が表現された、どこまでもヒューマニスティックな湿度に満ちた、ただの矩形だと映ります。ただの矩形がおさめる事象が、ただそのものと、すべて、を同時に現すことができると教わった。
同時代のアーティストが死ぬ時に、体の一部がもがれるような気持ちになったのはあなたがはじめてです。つまりあなたは私の一部をかたちづくったということです。涙を流しています。感謝しています。あなたは私にとって写真の父です。ありがとう。さようなら。ありがとう。さようなら。ありがとう。