欲する質を強化する作家はそれを求める自分がいるから、まあ見つかるしいずれ出会える。だがその感性を複線化してくれる作家は非常に稀で、私にとって馬場まり子はそんな作家のひとりだ。
彼女の作品を前にすると、もしかしたら私が見ているこのどうしようもない現実が、もっと複雑かつ豊かな仕方で時間と空間を輻輳しているのでは、という可能性を発見してにやけてしまう。でもちょっと怖い。
怖い理由は、題材のひとつひとつが画家の個人的な記憶、発想に基づいているからで、ひょっとしたら目の前の絵にのたうつ時間や空間が自分のそれと繋がって、なにかしらの生々しいものが行き交うのではないかと恐れるから。でもそれは嬉しくもある。
自分という現実に寄り添いながら、こんなにも自由になれる馬場を尊敬する。
また次回の展示を心待ちにしています。馬場さん、ありがとうございました。