リフレクション展のトークで、小平さんから「どの写真にも、森下君が写っている」との言葉をもらった。その場で私は「似てるからそう感じるんじゃない?」と混ぜっ返してしまったが、あれはいけなかった。喋るのが得意でないのと、頭の回転が遅いのとで本意を伝えられない。それは仕方ないにしても、誠意ある言葉にはきちんと応えなければ。
私が「似てる」と言ったら、小平さんは「いや、似てないと思うけど」と反応されたがそれは、例えるならアイスホッケーとラグビーほどの違いで、空高くから見ればなんだか似たような競技でも、それぞれの選手に訊けば「ふざけるな」と一蹴される、そんな似かただと思う。私も本心ではまったく似ていないと思っている。ただ、写真と写真家のあいだに落とす錨の位置は、わりと近いのではないか。
それでは私と小平さんの作品にどう違いがあるのか。それは被写体に対する愛の量だ。
レンズの前にあるものに正面切って拘うのはどちらも同じだが、捉えた後、手を離すのか離さないかの違いだ。
小平さんは、写真と被写体のあいだを渡り歩くその足取りに、自らの作家性を見出そうとしている。私は、写真に身を預けることで、逆説的に自分の視線の質を炙り出そうとしている。トークでなされた質問は、この点を問うていたのだ。