一枚の写真がその中に孕む様々な力は、決して単一の方向を指しはしない。光の美しさ、事物の存在感、人々のありよう。その一つ一つが独自のベクトルをもっている。そしてそれぞれのベクトルの差異の中で、私達は呼吸をする。この場所で私達は、身に沁みて感じる。静止したシステムの脆さを。世界が”テーマ”におさまらないことを。そして写真が総括できないことを。
我々の目的は明らかな解答を導くことではない。純粋な世界の捉え方には”謎”が不在だからだ。なされるべきは、謎を謎のまま生きながらえさせること。そのために私達は、写真とともにあって、対話を続けてゆく。
風景写真は、はじまりとしての謎を湛えつつ、我々に開かれている。