ベアト・ストロイリ/倉石信乃 展示/トーク

代官山で倉石さんとベアト・ストロイリのトーク後、ユミコチバのストロイリ展オープニングへ。ストロイリは、正直これまであまりピンとこない作家だったのだが、今日一日でずいぶん良い作家だと分かった。

写真は主にピークを捉える技術だが、ストロイリはそのピークを捉える欲望に対してどこかシニカルな、批評的な態度を表現しているとこれまで理解していたのだけど、彼には彼なりのピークがあるのだった。特に荒木さんの本を参考にしたという分厚い写真集は、世界の普遍性を捉えたいという清々しい欲望に貫かれた素晴らしい出来だった。写真のすべき仕事の一つがここにあるとすら感じた。トークのあいだ、彼がどのような戦略でフォトジェニックな写真のピークを回避しようとしているのか質問しようと思っていたのだが、その本が回ってきてストンと納得。倉石さんの組み立て方も上手で、良いトークだった。あと一時間も余裕があれば、もうちょっと突っ込んだところも話せるかという気がしたが、倉石さんの言うとおり、「なんでも話せばいいってもんじゃない」のかもしれないな。

倉石さんとの話の中で出た、西洋には我々の文化にはないヒューマニズムがあるから、ストロイリの作品を優しく、温かみのある作品だと言いたくなるのも分かるよねというのは、いまいち実感としてつかめず。私には彼の作品はあくまで絵面の純粋さを主題としているように見えるからだ。

新宿のユミコチバの展示は、サイズが大きくなったこともあり、本ほどの凝集力が薄まってしまっており残念。額装のフィニッシュワークも、もう一息かと思った。壁一面を出力された壁紙で埋めて、その上に作品をかけるというのは、アツコバルーのアントワーヌ・ダカタ展でもやっていたが、あまり効果的な方法ではないように思う。

バックヤードではストロイリの作品集がずらりと並べてあって、時間がなくてすべてをじっくり見ることは出来なかったが、特に初期の作品には現在の作品と比べるとかなり斜に構えたところがあった。面倒くさい写真家が徐々に本来自分が持っていた資質であるピュアな視点を構築しつつあるというのは単純な見方だろうか。

角度はどうあれ私も、世界の美しさを受け止めつつ、普遍性を追い求めてゆきたいと思った、夏の一日。

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