さとう陽子展/ギャラリー檜

京橋のギャラリー檜。最終日。おチビを連れ立っての芸術鑑賞という無謀な道行きは果たして床の上で身をくねらせ駄々をこねつつおやつをねだり、折角在廊なさっているさとうさんとはろくな対話もできずに辞す羽目に。毎回こういう結果になるのに毎回そのことを忘れて出向くという愚かさ。

それでもどうにかみかん、きな粉飴を随時投下し、鎮めているあいだ集中して作品を観る。以前にも増して一点一点が独自の思想、顔を持ちはじめているが、大別するとリズムやパターンの律が織り込まれる音楽的な描法と、面のなかで起こる出来事の豊かさを追求するしかた、の二つに分けられる。

リズムやパターンを導入した作品は観る者に委ねられ、出来事のほうは作品の声に耳を澄まさなければいけない。普通とは逆だ。だから面白い。

今日見た私の眼には出来事の作品と、等分に差し挟まれる写真作品が愉快だった。

複数の要素が重なりあう愉悦というのはわりと定番で、これを手際よく為せばいいものができる。ポロックの成功した作品なんて四つほどの空間が同居していて驚いたものだった。今日見たさとうさんの作品は、個々の要素が相前後して重なるのでなく、布地のように織り込めあうのでもなく、ところどころで湧き出ては他に流れ込み、折りをみて浸透し、それがまた別の要素から別の仕方、例えば降る雨のように、例えばいきなり現れる石くれのように、なんというのか、大蛇が見える場所と見えない場所で絡み合っているようなことがおきていて、それが全体としては不思議な肯定感、なんのためにかはよくわからないがとにかく祝福を告げているという希有な出来事となっていた。すごい。

写真作品も初期こそ燦とした輝きがあったが、その後手管を知って停滞の中期、そこを脱して芯が形成されつつある。これなら写真だけの展覧会も可能だと感じた。ぜひ自分がその企画を成し遂げたいと思った。

おまけのおみやげは詩集。今回はきちんと製本されてあり、背表紙もある。さとうさんの抜き身の言葉が頭の角を突く。

精進せねば。さとうさん、ありがとうございました。

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