京橋へ。悪い風邪が流行っているせいか人も疎らで、いつもの往来はない。一番寒い季節のはずなのに妙に生暖かく落ち着かない。
ギャラリー檜にてさとう陽子展を見る。この会場でのさとうの展示はここ数年毎回写真と絵画を組み合わせた構成になっていて、他の会場ではひたすら絵画世界に没頭できるところを写真家としての目が呼び覚まされ、にわかに意識が乱れて楽しい。特に今回は写真がモノクロだったからなおさらだった。
さとうの写真作品は虚飾を排した素っ気ない作品が多いが、芯まで届く確かな意思に満ちており美しい。いつかasterisk booksでまとめたいところだ。対して絵画は、これまでの特徴であったひとつひとつの異なる部分、要素がレイヤーのように重なり合い、統一されたイメージとして回収され、収斂する傾向が失せ、それぞれの部分が強く主張を持ちながら他との関係性を変化せさながらも保ち、同居している。溶け合うのではなく、たまたま隣り合ってしまった、偶然一緒になってしまったことを楽しんでいるような、そんな自由な空間として成立している。
ここからさらに、調和する諸要素と、隔絶した他人の顔で互いに接する諸要素がひとつところに展開する空間が実現されたらなお愉快だろうと想像する。
自作について近頃考えることのひとつに写真における公共性があって、それは作品に捉えられ、表現された物事が相互依存的に繋がり、その運動において新しい価値を創造できるのではないかというようなことなのだが、それをさとうの作品にも当てはめて考えたのかもしれない。次作の展開が楽しみだ。