残念ながら、今年のドイツゆきはコロナの影響で中止となった。
まさかこのタイミングで世界的な疫病が蔓延するなんて想像だにしていなかった。わずか一年とはいえ異邦の生活は刺激になるし、現地での撮影が導く自作の展開を心待ちにしていただけに、目に見えないウイルスが恨めしい。
渡航準備も大詰めの3月末、千駄木のアパートを引き払い、友人が格安で提供してくれた千葉市花見川区の一軒家にひとまず荷物を移した段階で、すでに雲行きが怪しくなっていた。ひとまず様子を、と待機するうちにCOVID-19はあれよと拡散し、右往左往しない春が終わり、どこにも出かけない夏が過ぎ、じっと月光を浴びる秋になっても状況は改善されず、気づけば半年経ってしまった。
外務省に出向きアポスティーユなどの必要書類も揃えてあったし、受け入れ先の住居も決まっていた。国際免許も急いで取得した。観光ではないのだから無理やりビザを取り現地に向かうことはできたかもしれないが、行ったところで、妻の受け入れ先である大学はオンライン授業に移行しているし、彼女が楽しみにしていた各地の学会も軒並み中止になっている。私も、ドイツに限らずヨーロッパのあちこちを取材する計画だったが、それも移動制限があって思うようにいかないようである、などなど諸々鑑みて、断念した。
それでも、18で写真をはじめてから最もシャッターを切った回数の少なかったこの半年、写真中毒よろしく、断続的に撮影をしていないと禁断症状があらわれるような体をいったんリセットして、作品制作に没頭してきたこの二十余年を振り返り、沈思黙考する時間を持てたことは不幸中の幸いだったのかもしれない。
来る日も来る日も変わりばえのしない日々のなかで、これまで自分が写真を通して培ってきた身体性を、この先何に触れさせてゆくか、思い巡らせた。そして私は、時間との関わりをもう少し強くしたいと思うようになった。歴史にたいして有責であるという実感を抱いた。それが収穫だった。これからは、相変わらず盲滅法に移動しながらも、私の求める写真の純粋性が、人間の感情や土地の記憶と交わることを進んで受け入れてゆきたい。
写真に表象される物事が現実と接点を持つというのは普通に考えてみれば当たり前のことだが、延々と繰り返される制作の過程で、写真に現れる現実こそが第一義であるという信義を持つようになった私にとって、自らの作品世界に社会や歴史の文脈を包摂するということは大きな跳躍なのだ。
二十代、三十代と、自分の価値観は絶対に変わらないと固く思い込んで生きてきたが、四十代に足をかけた今の自分は、その頃思っていたよりずっと柔軟な制作態度を身につけることができている。行き当たりばったりに歩いていたら藪を抜けて、見晴らしのいい丘に出た、そんな気分だ。自由ということがどんなものなのか、少しだけわかり始めたのかもしれない。そして相変わらず、いい作品がどんどん生まれてゆくのだろうな、という確信を抱いている。
というわけで千葉市花見川区に住んでいます。御用の方はお声がけください。メッセージを頂ければ新しい住所をお知らせします。私は次の個展に向けて制作しています。